BLOG
アジア太平洋出張報告 (その②:西オーストラリア、インドネシア編)
1.NZからの帰りに、オーストラリアの西オーストラリア州の州都パースを訪問。西オーストラリア州は私の地元兵庫県と姉妹県(州)であり、この3月の大震災直前にも同州のバーネット首相が私の地元南あわじ市を来訪され、コアラ4頭の寄贈を受けた(2011年3月9日活動報告参照)。実はバーネット首相とは、外務政務官時代にもお会いしており(2009年2月19日活動報告参照))、今回3度目の面談である。日本は西オーストラリア州から鉄鉱石の約6割を輸入しており、さらに最近では、天然ガス(LNG)開発プロジェクトが目白押しであり、日本企業が参画するこうしたプロジェクトへの協力をお願いすべく、訪問した次第である(写真①)。
2.パースは人口約150万人の美しい都市であり、湾のように広いスワン川沿いのヨットハーバーにヨットやクルーザーが並び、青い空に青い海、真に心が洗われる気分になる()。
旧知のカターニア議員(2007年2月12日ブログ参照写真右端:左端)、より若いエドマン議員(真ん中)、そして、カターニア議員の父であるニック・カターニア・ビンセント市長他の皆さんとクルーザーに乗って意見交換(の背景には「プライム・ミニスター号(総理大臣号)」と名付けられたエドマン議員所有のヨット)。
一緒に乗っていた水産関係の会社の方によれば、エビやロブスターの輸出も、かつてはほとんどが日本向けであったが、最近ではほとんどが中国向けになってしまっているという。やはり、相対的に日本の存在感は小さくなっていっている。しかし、それでも、オーストラリアの方々は日本との関係を大事に思っていてくれ、私に対してもこのような歓待をしてくれたのである(日曜だったせいもあるが)。
私自身は、日本と豪州は同盟を結んでもいい、くらいに思っている。価値観を共有し、技術の日本と資源のオーストラリアは、お互いに補完し合い、強力なタッグとなるはずだ。既に「2プラス2」(外務・防衛大臣会合)などを開催しているが、さらにその関係を強化すべき時である。
3.スワン川河口にあるパースへ下流へ約30分のところに、フリーマントル港があり、様々な貨物の積み出し港となっているが、この日は、シンガポールの軍艦も寄港していた()。昼には総領事とともに、在パースで活躍している日本企業の皆さんと意見交換会()。
4.続いてインドネシアのジャカルタに立ち寄り、シンガポール経由で帰国したが、ジャカルタでもアジアの政治経済状況について意見交換を行った。インドネシア戦略国際問題研究所(CSIS)のリザル・スクマ所長とは、幅広くアジア太平洋地域の経済・安全保障について、意見交換を行った()。経済について、特にTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)をはじめとする自由貿易協定については、インドネシアは中国との貿易で貿易赤字が急増しており、とても自由貿易のことを持ち出す雰囲気にないといっていた。しかし、もし日本がTPP交渉に入れば、これは大きな転換点になるかもしれないと話していた。
また、リザル氏は、アジア地域の安全保障において、日本にもっと大きな役割を果たして欲しいとの期待感も表明した。日本は過去に引きずられている。アジアの未来に向かって積極的に責任を果たさなければならないのである。
5.さらに、ギナンジャール大統領諮問会議委員、ゴーベル日本友好協会会長の両氏ともアジア地域の様々な状況について意見交換を行った()。日本が相対的にその地位が小さくなっているにもかかわらず、インドネシアでは日本語を学ぶ人の数が増加しており、親日的な気持ちに変化はないのである。
確かにバイクでは約98%、自動車でも約90%が日本製で、電機製品においても日本製に対する信頼が厚い。日本はこうした気持ちにしっかりと応えてゆかなければならない。
6.ジャカルタは、3年前に来て以来であるが、高層ビルが増え()、約959万人の大都市の様相である。しかも、高級ブランドが建ち並ぶショッピング・モールもあちこちにオープンしており()、都市の中間(所得)層が厚くなっていることがよく分かる。確かに2億6千万人の人口がある大国である。経済成長の潜在力は大きく、ユドヨノ政権のもとで着実に成長している。
しかし、ちょっと幹線道路をはずれると昔ながらの古い商店が建ち並び、後ろに見える高層ビルと対象的である()。
それにしても渋滞がひどい()。15年前のタイのバンコクのようである。地下鉄やモノレールなど、都市のインフラ整備が急務である。川の水はドブのように汚れており、環境対策も急がなければならない。こうした面では、日本の経験を活かせるはずである。今回あらためて、インドネシアの戦略的重要性と協力関係強化の必要性を痛感した次第である。
2.パースは人口約150万人の美しい都市であり、湾のように広いスワン川沿いのヨットハーバーにヨットやクルーザーが並び、青い空に青い海、真に心が洗われる気分になる()。
旧知のカターニア議員(2007年2月12日ブログ参照写真右端:左端)、より若いエドマン議員(真ん中)、そして、カターニア議員の父であるニック・カターニア・ビンセント市長他の皆さんとクルーザーに乗って意見交換(の背景には「プライム・ミニスター号(総理大臣号)」と名付けられたエドマン議員所有のヨット)。
一緒に乗っていた水産関係の会社の方によれば、エビやロブスターの輸出も、かつてはほとんどが日本向けであったが、最近ではほとんどが中国向けになってしまっているという。やはり、相対的に日本の存在感は小さくなっていっている。しかし、それでも、オーストラリアの方々は日本との関係を大事に思っていてくれ、私に対してもこのような歓待をしてくれたのである(日曜だったせいもあるが)。
私自身は、日本と豪州は同盟を結んでもいい、くらいに思っている。価値観を共有し、技術の日本と資源のオーストラリアは、お互いに補完し合い、強力なタッグとなるはずだ。既に「2プラス2」(外務・防衛大臣会合)などを開催しているが、さらにその関係を強化すべき時である。
3.スワン川河口にあるパースへ下流へ約30分のところに、フリーマントル港があり、様々な貨物の積み出し港となっているが、この日は、シンガポールの軍艦も寄港していた()。昼には総領事とともに、在パースで活躍している日本企業の皆さんと意見交換会()。
4.続いてインドネシアのジャカルタに立ち寄り、シンガポール経由で帰国したが、ジャカルタでもアジアの政治経済状況について意見交換を行った。インドネシア戦略国際問題研究所(CSIS)のリザル・スクマ所長とは、幅広くアジア太平洋地域の経済・安全保障について、意見交換を行った()。経済について、特にTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)をはじめとする自由貿易協定については、インドネシアは中国との貿易で貿易赤字が急増しており、とても自由貿易のことを持ち出す雰囲気にないといっていた。しかし、もし日本がTPP交渉に入れば、これは大きな転換点になるかもしれないと話していた。
また、リザル氏は、アジア地域の安全保障において、日本にもっと大きな役割を果たして欲しいとの期待感も表明した。日本は過去に引きずられている。アジアの未来に向かって積極的に責任を果たさなければならないのである。
5.さらに、ギナンジャール大統領諮問会議委員、ゴーベル日本友好協会会長の両氏ともアジア地域の様々な状況について意見交換を行った()。日本が相対的にその地位が小さくなっているにもかかわらず、インドネシアでは日本語を学ぶ人の数が増加しており、親日的な気持ちに変化はないのである。
確かにバイクでは約98%、自動車でも約90%が日本製で、電機製品においても日本製に対する信頼が厚い。日本はこうした気持ちにしっかりと応えてゆかなければならない。
6.ジャカルタは、3年前に来て以来であるが、高層ビルが増え()、約959万人の大都市の様相である。しかも、高級ブランドが建ち並ぶショッピング・モールもあちこちにオープンしており()、都市の中間(所得)層が厚くなっていることがよく分かる。確かに2億6千万人の人口がある大国である。経済成長の潜在力は大きく、ユドヨノ政権のもとで着実に成長している。
しかし、ちょっと幹線道路をはずれると昔ながらの古い商店が建ち並び、後ろに見える高層ビルと対象的である()。
それにしても渋滞がひどい()。15年前のタイのバンコクのようである。地下鉄やモノレールなど、都市のインフラ整備が急務である。川の水はドブのように汚れており、環境対策も急がなければならない。こうした面では、日本の経験を活かせるはずである。今回あらためて、インドネシアの戦略的重要性と協力関係強化の必要性を痛感した次第である。