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特攻隊慰霊祭に参列。 
1.10月25日(月)早朝、フィリピンのマニラ郊外(車で約2時間)のマバラカットでの特攻隊慰霊祭に参列した。66年前の昭和19年10月25日朝7時25分、関行男大尉をはじめとするゼロ戦特攻隊が初めてレイテに飛び立ったのである。

2.この慰霊際には、遺族会、(財)特攻隊戦没者慰霊平和祈念協会、そして、お世話をされている徳州会の皆様、そして、地元のモラレス市長をはじめ、フィリピンの方も多く出席されていた(写真①)。何年も続けておられる、こうした皆様に心から感謝申し上げたい。私自身、日本の国会議員として初めて参列させて頂いた。本来なら、石原伸晃幹事長に同行する予定が、北海道第5区補欠選挙の投票日と重なったため、私が一人で参列したのである。

3.この日は、快晴で、特攻隊の英霊も天国から暖かく見守ってくれていたに違いない。私は、挨拶の中で、アジア・世界の平和の繁栄のために、日本が積極的に行動することをお誓い申し上げた(、③、④、⑤)。ゼロ戦は、まるで富士山のように“裾野”が美しいアラヤット山()を見ながら、大きく舵(かじ)を切り、レイテ島に向かったという。この日のアラヤット山は、雲に覆われていたが、英霊の安らかに眠られんことをお祈りした次第である。

4.この慰霊祭に合わせて、フィリピン政界の主要人物とも面談、意見交換させて頂いた。プリシマ財務大臣は50才、故中川昭一代議士と懇意だったとの由、カジュアルなスタイルで話をさせて頂き、11月の横浜でのAPECの際に東京での再会を誓った()。

デ・ベネシア元下院議長とは、約2時間、アジア情勢等について意見交換()。プラド元交通大臣、ユイコー元農水大臣とはランチを共にしながら、中国の台頭、日本の政治情勢、日米同盟など、幅広く、意見交換を行った()。東南アジアにおいて、日本が果たすべき役割、日本への期待は大きいのである。日本は、その期待にしっかりと応えなければならない。

5.なお、久しぶりに訪問したマニラは、不動産開発ラッシュであった。まるで、横浜のみなとみらいやお台場のような雰囲気の開発である()。高層ビルも数多く林立している()。しかし一方で、相変わらず貧困層も多く()、この貧富の格差、そして、その裏にある不正の温床が、フィリピンにとって大きな問題である。親日的な国だけに、健全な成長を期待したい。