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米国・南米出張(その③)エクアドル編~オイルサンドの権益を目指して~
1.11月22日(土)19時頃ベネズエラの首都カラカス発の飛行機で、コロンビアの首都ボゴタ経由でエクアドルの首都キトに向かう。23時過ぎ、キト到着。米国留学中に、バックパックを担いで一人でこのキトとガラパゴス諸島を訪問して以来約16年ぶりの訪問である。
キトは赤道直下ではあるが、高度2000mの街で酸素が薄い。「走らないこと」「たくさん食べないこと」「夜は一人で寝ること」など前川征弘大使からアドバイスを受ける。16年前も「何ともなかった」と自負するが、気持ちは青年でも、今や体は46才の立派な中年。「気をつけねば」と慢心を戒める。
キトは、高いビルも増え、産油国として着実に成長しているようだ。16年前は確か1泊30ドル程度(約3000円)の安ホテルに泊まり、お湯も出なかった記憶があるが、今回はさすがにシティホテルに泊まる。
2.23日(日)朝6時半起床。この日は、片道3時間半をかけて新しい油田の鉱区を視察である。アンデスの山を越え、アマゾンの支流のジャングルまでアップダウン、クネクネしながらの上に、途中舗装がなされていないガタガタ道が約1時間あり、かなりきつい行程である。
しかし、途中のアンデスの景色は、いくつもの美しい滝があり(写真①)、また、牛や馬の放牧など()、時折は心なごませてくれるものであった。古い石油のパイプラインは道沿いを走り()、油田に向かっていることを実感する。
3.昼すぎ、油がにじみ出ている第一目的地に到着。タール状の重質油が岩から流れ出ている()。砂状やクッキー状になっているいわゆる「オイルサンド」もある()。縦40Km×横10Kmの約400平方キロのこのジャングル地帯の地下一帯にこのオイルサンドが存在し、その量10億バレルとも20億バレルとも言われている。膨大な量である。
この地域の原住民の人たちは、この場所でにじみ出る重質油(オイルサンド)を掘り出し、そのまま道路用として、言わばアスファルトのように使っている()。
4.昼食は、アマゾンの支流のナポ川の魚「ティラピオ」()。バナナを切って固めたものもついている。これは固いが、魚は白身で中々の美味である。
その後、ジャングルに入り()、かつて油が噴き出しナポ川に流れたため、原住民が蓋をした井戸やインカ時代の石を見に行く。ここでも、原住民の人からクッキー状のオイルサンドを見せてもらう()。確かにこの地域一帯の地下にはどこにでも石油があるようだ。
5.翌24日(月)、期待していた45才のコレア大統領との面談は実現せず、大変残念であったが、パラシオス石油鉱山大臣、ハラミージョ・エクアドル石油公社(ペトロ・エクアドル)総裁と意見交換()。権益や入札を巡る詳細については明らかにできないが、関係強化に向けて取組みを加速することで一致。石油価格の見通しなどについても意見交換を行った。
そして、新聞社「コメルシオ」のインタビューを受ける()。金融危機の行方などについて関心が高いようだ。
6.この日の昼食は、ホテル内の和食「楽しい」で。社長の谷田さんがファミリーレストラン的なメニューをそろえ、大変な人気店だそうだ。韓国大使やエクアドル人もたくさん来ていた。ちなみに、和風ビーフカレーは絶品!(そのうち、このHPで紹介したいと思います。)
7.午後は、バレンシア外務大臣が海外出張中のため、エガス筆頭次官(通商担当)と意見交換()。二国間の貿易・投資の促進のために対話を促進することで一致。日本はエクアドルからは、バナナ、カカオ、コーヒー、エビなどを輸入しているが、バナナの生産は世界一、カカオ(チョコレート)はベネズエラよりも美味しいとの評判もある。日本向けの商品開発や品質基準の向上など協力できる分野は多いはずだ。外交樹立90周年のこの機会に是非とも関係強化を図りたい。
8.夕方、短い時間だが、キト市内を視察。キトの旧市街は世界遺産のうち「文化遺産第1号」、16年前に訪問したガラパゴス諸島は「自然遺産第1号」と聞き、驚いたが、16年前の記憶をたどりながら、旧市街などを視察。夜は、内輪で反省会を兼ねて。そのまま空港へ。
今夜は、エクアドルの首都キトから、チリの首都サンティアゴ経由で、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロまで約15時間のフライトである。南米大陸縦断(横断?)の約6700Kmの空の旅。腰やお尻が痛くなりそうだが、25日夕方のリオでの「第3回児童の性的搾取(児童虐待)に反対する世界会議」で日本の取組みを表明しなければならない。2001年に第2回会議を横浜で開催してからの動きを含めてしっかり頭に入れておく。ゆっくり眠る間もなく頭を「石油」から「児童の権利保護」に切り換え、資料を熱読。
キトは赤道直下ではあるが、高度2000mの街で酸素が薄い。「走らないこと」「たくさん食べないこと」「夜は一人で寝ること」など前川征弘大使からアドバイスを受ける。16年前も「何ともなかった」と自負するが、気持ちは青年でも、今や体は46才の立派な中年。「気をつけねば」と慢心を戒める。
キトは、高いビルも増え、産油国として着実に成長しているようだ。16年前は確か1泊30ドル程度(約3000円)の安ホテルに泊まり、お湯も出なかった記憶があるが、今回はさすがにシティホテルに泊まる。
2.23日(日)朝6時半起床。この日は、片道3時間半をかけて新しい油田の鉱区を視察である。アンデスの山を越え、アマゾンの支流のジャングルまでアップダウン、クネクネしながらの上に、途中舗装がなされていないガタガタ道が約1時間あり、かなりきつい行程である。
しかし、途中のアンデスの景色は、いくつもの美しい滝があり(写真①)、また、牛や馬の放牧など()、時折は心なごませてくれるものであった。古い石油のパイプラインは道沿いを走り()、油田に向かっていることを実感する。
3.昼すぎ、油がにじみ出ている第一目的地に到着。タール状の重質油が岩から流れ出ている()。砂状やクッキー状になっているいわゆる「オイルサンド」もある()。縦40Km×横10Kmの約400平方キロのこのジャングル地帯の地下一帯にこのオイルサンドが存在し、その量10億バレルとも20億バレルとも言われている。膨大な量である。
この地域の原住民の人たちは、この場所でにじみ出る重質油(オイルサンド)を掘り出し、そのまま道路用として、言わばアスファルトのように使っている()。
4.昼食は、アマゾンの支流のナポ川の魚「ティラピオ」()。バナナを切って固めたものもついている。これは固いが、魚は白身で中々の美味である。
その後、ジャングルに入り()、かつて油が噴き出しナポ川に流れたため、原住民が蓋をした井戸やインカ時代の石を見に行く。ここでも、原住民の人からクッキー状のオイルサンドを見せてもらう()。確かにこの地域一帯の地下にはどこにでも石油があるようだ。
5.翌24日(月)、期待していた45才のコレア大統領との面談は実現せず、大変残念であったが、パラシオス石油鉱山大臣、ハラミージョ・エクアドル石油公社(ペトロ・エクアドル)総裁と意見交換()。権益や入札を巡る詳細については明らかにできないが、関係強化に向けて取組みを加速することで一致。石油価格の見通しなどについても意見交換を行った。
そして、新聞社「コメルシオ」のインタビューを受ける()。金融危機の行方などについて関心が高いようだ。
6.この日の昼食は、ホテル内の和食「楽しい」で。社長の谷田さんがファミリーレストラン的なメニューをそろえ、大変な人気店だそうだ。韓国大使やエクアドル人もたくさん来ていた。ちなみに、和風ビーフカレーは絶品!(そのうち、このHPで紹介したいと思います。)
7.午後は、バレンシア外務大臣が海外出張中のため、エガス筆頭次官(通商担当)と意見交換()。二国間の貿易・投資の促進のために対話を促進することで一致。日本はエクアドルからは、バナナ、カカオ、コーヒー、エビなどを輸入しているが、バナナの生産は世界一、カカオ(チョコレート)はベネズエラよりも美味しいとの評判もある。日本向けの商品開発や品質基準の向上など協力できる分野は多いはずだ。外交樹立90周年のこの機会に是非とも関係強化を図りたい。
8.夕方、短い時間だが、キト市内を視察。キトの旧市街は世界遺産のうち「文化遺産第1号」、16年前に訪問したガラパゴス諸島は「自然遺産第1号」と聞き、驚いたが、16年前の記憶をたどりながら、旧市街などを視察。夜は、内輪で反省会を兼ねて。そのまま空港へ。
今夜は、エクアドルの首都キトから、チリの首都サンティアゴ経由で、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロまで約15時間のフライトである。南米大陸縦断(横断?)の約6700Kmの空の旅。腰やお尻が痛くなりそうだが、25日夕方のリオでの「第3回児童の性的搾取(児童虐待)に反対する世界会議」で日本の取組みを表明しなければならない。2001年に第2回会議を横浜で開催してからの動きを含めてしっかり頭に入れておく。ゆっくり眠る間もなく頭を「石油」から「児童の権利保護」に切り換え、資料を熱読。