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「大いなる可能性の国、バングラデシュ」
1.この夏、在京大使ドウラ氏とのご縁でバングラデシュを訪問した。もともと神戸はジュートの導入でバングラデシュと関係が深く、私の神戸後援会「康風会」の植村武雄幹事長(小泉製麻社長)がバングラデシュの名誉領事に任命されていることもあり、1日だけという短い訪問であったが、大変充実した一日となった。

2.そもそもアジア最貧国の一つであり(一人当たりGDP約487ドル)、首都ダッカは埃っぽく雑多な(わい雑な)街である(写真①)。そして中心部はいつも大渋滞で、車で一ブロック進むのに30分も1時間もかかる。まるで20年前のバンコクのようだ。特に、インドと同じ呼び名の「リキシャー」(「人力車」から来ている。、③)が湧いてくるように多く、それにエンジンのついた「オート・リキシャー」も含めて車の進行をさえぎってしまう。

3.そんな中で、まず日本の円借款(ODA)でつくったホテル「ショナルガオン」(「黄金の穂」の意)で、私のメリーランド大学公共政策大学院の同級生ミザン・カーン氏と16年ぶりの面談である()。カーン氏はやや髪が薄くなったが、昔と同じ人なつこさで、思い出話に花が咲いた。そして、カーン氏は現在、ノース・サウス大学(南北大学?)の環境学部長であり、バングラデシュの環境政策・エネルギー政策に深く関わっている。彼は、日本の環境政策を高く評価してくれ、日本の戦後の発展、公害の克服、省エネ・新エネ技術の開発・普及など、次回は是非学生に話してほしい、と言っていた。ただ、日本の現在の政治に対する評価は厳しく、「国際社会でもっと存在感をアピールすべき」とアドバイスしてくれた。

4.昼食は、ホセイン外務次官主催の昼食会。ブイヤン財務次官や投資庁長官、経済特区長官など経済省庁のトップや、日本とビジネスを行っている車のディーラー、繊維業者なども集めてくれた()。ホセイン次官にも申し上げたが、日本で、ある省の次官が他省庁の次官にも声をかけ、また民間の関係者も集めての昼食会など考えにくい。やはり日本は縦割の弊害が大きいのだろうが、と自問した次第である。

5.午後は、精力的に政府要人との意見交換を行った。
ロイ環境顧問(暫定政権のため「顧問」という呼び方をしているが、実質「大臣」。以下同じ)、イスラム財務顧問、タミム電力・エネルギー顧問()である。ロイ氏は、バングラデシュの南東部の第2の都市チッタゴンの丘陵地帯の少数民族「チャクマ族」の出身で、部族を代表する一人である。年齢も私と近く、楽しいひとときであった(左)。

いずれの大臣との話においても、
①バングラデシュは人口1億8千万人で世界第6位、そして「BRICs」(ブラジル、ロシア、インド、中国)に続く「ネクスト11」の1つであること、
②バングラデシュの人件費は、月約3000円であり、豊富な労働力を提供できること、
③電力不足が顕著となっていること。即ち、電力の80%を自国で生産する天然ガスに頼っているが、この10年間、開発・生産を行っていない。現にこの日も午前中に1時間消灯を行う「節電タイム」があった。
④ASEANの隣の国であり、SAARC(南アジア地域協力連合)の一員としてASEANとSAARCの橋渡しをできること、
⑤ジャルマ橋をはじめ日本の経済協力には感謝。新しい橋「パドマ橋」への協力もお願いしたい、
などを主張された。

6.私からは、
①毎年のように起る水害防止と電力不足解消のために、インド側で水力発電を行ったらどうか(バングラデシュでは、平らすぎてできない。唯一の可能性はチッタゴン丘陵)、
②ユニクロが中国からの調達を100%から70%に減らし、そのうち10%分をバングラデシュからの調達を行うことを決め、ジーンズの輸入を開始した。このことは象徴的で、繊維産業は投資の可能性は大きい(は、縫製工場の入っているビル)、
③しかし、都市部の交通渋滞がひどく、都市交通の整備が急務であること、
④バングラは激しい政治闘争が有名で、騒動がよく起こる。現在の暫定政権になって、アワミ連盟(ハジナ派)とBNP(ジア派)の対立は落ち着いているが、本年12月の選挙がスムーズに行われ、その後政権が安定することを強く望む、
といったことを申し上げた。
その夜は、ダッカ・ロータリークラブで挨拶()。約200名の出席者の皆さんが大歓迎してくれた。

7.翌朝は、朝5時に起きて、有名なブリゴンガ川の船着き場を見に行った。ホテルからはわずか10Kmほどの距離で、常識的には9時15分の飛行機に乗るのに、そんなに早起きをする必要はないが、何しろ交通渋滞が尋常ではない。昼間は片道3時間くらいはかかるため、早朝暗いうちに訪問することを決心したのである。
まだうす暗い中で、車を進めただけあって、様々な光景を目にすることができた。 道路や船着き場で寝ている人たち(女性もである!! )積み上げられたバナナの集荷()、たくさんの船が着き、船着き場がごった返す様子()などなど…。
大変貧しい中にも生きていくエネルギーを感じた。「人間、どんな環境でも生きていける!」と。
バングラデシュの「大いなる可能性」と、同じく「大いなる課題」を認識した訪問であった。