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サハリン紀行(その②)~石油・天然ガスの安定供給のために。LNGプロジェクトを視察。~
1.州都ユジノサハリンスク市から南へ約50kmのコルサコフ市からさらに約15分、サハリンⅡのLNG基地のあるプリゴロドノエに到着。車で走っていると大自然の中に突然LNG基地が現れる(写真①)。総額200億$(約2兆円)の事業費で、シェルと三井物産、三菱商事で始めたプロジェクトであるが、紆余曲折があり、昨年よりガスプロムが50% 1株、シェル25%-1株、三井・三菱商12.5%(当初は25%)との出資比率となったのである。この出資比率の変更は、唐突にロシア政府から持ち出されたものであり、かつ、環境規制などでかなり厳しい注文があったという。常識からは、理解しがたいプロセスであるが、結果として、ガスプロムが、大株主として、参画したことにより、事業はスムーズに進んでいるという。やり方はロシア流だが、「結果良ければ全て良い」と考えるべきか?
2.このLNG基地を視察()。一昨年中東のカタールの世界最大のラスラファンLNGプロジェクトを視察した(2006年7月23日活動報告参照)が、このサハリンⅡプロジェクトもかなり大きい。サハリン北部のオハ沖の鉱区で生産される天然ガスをパイプラインで運び()、このLNG基地の2つのライン(「トレイン」と呼ぶ)でLNGに転換される。現在一本目は完成()、二本目が最終工事中で()、本年度末にはLNGの輸出が開始されることとなる。
日本には、年間約500万t輸出される見込みである。これは、日本の全消費量の約8%に当たる量で、2010年以降、インドネシアからの輸入が1200万t→300万tに減少する恐れがある中で、極めて貴重な量である。なお、原油は既に生産が開始されており、沖合い5万kmの積込装置()から、日本向けには7~9万B/日 輸出されている。これは日本の全石油消費量の約2%に該当する。
3.いずれも資源のない我が国にとって極めて貴重な権益(いわゆる「日の丸原油」。日本が投資し権益を有する資源。)である。
実は、このLNG基地は、1905年に日本軍がサハリン上陸を果たした場所であり(はLNG基地全景、⑧は海岸線とLNG船への積出し突堤)、その記念塔もあるが、残念ながら(おそらくロシアに)倒されてしまっている()。もし、このサハリン(特に北部の沖合)に、これほど膨大な石油や天然ガスが眠っていることが分かっていれば、このサハリンを手放すことはなかったであろうし、無理してアジアに南進することもなかったかもしれない。50年先のことを想像した、見据えた政治を行わなければならないのである。そんなことを考えたサハリンⅡLNG基地視察であった。なお基地の中にLNG部分と原油部分を隔てる小川がある()。この小川には秋になると、大量のサケが産卵のために登ってくるという。その保護のために、州政府の規制に基づき特別ゾーンが設けられている。
4.また、もう一つのプロジェクトのサハリンⅠは、エクソン・モービル社が30%、インド国営石油公社小会社が20%、ロシア国営石油会社ロスネフチ小会社が20%、日本のSCDECO(サハリン石油ガス開発会社)が30%の株主で、既に原油については本格生産を開始しており、日量25万Bの生産である。このうち、日本には30%分の7.5万B/日が輸出されている。ガスは現在のところ、ロシアの国内向けに使われているが、今後、生産が本格化すればその仕向け地について、折衝が本格化するわけである。日本とすれば、国家的プロジェクトだけに、2010年頃LNG需給がひっ迫することも勘案すれば、日本向けにまとまった量を確保することが必須である。ロシア政府とも緊密に連携を取りつつ、中国に売る希望の強いエクソン・モービル社との交渉を進める必要がある。
5.ちなみに、サハリンには韓国人が約3万人、日本人約300人の100倍いる。サハリンに来た理由は様々だが、それなりに成功している人も多くサハリンと韓国との貿易は急増している(日本を抜いて第一位に)。また、世界3大商人の一つと言われるアルメニア人やウクライナ人、そして、中央アジアのキルギス・タジキスタンからの移民も多いことに驚く(はホテル近くの防空壕跡を利用してできたバーで働く人たちと。年配の女性2人はアルメニア人、若い女性はキルギスから、男性はタジキスタンから、右端は渡辺総領事)。かつて、日本も間宮林蔵がこのサハリン(樺太)を調査に来た。開拓者魂が、旺盛であったのである。ブラジルでのチャレンジャー精神も既述のとおりである。今一度、閉塞感の強い日本だけに、世界に門を開き、あらゆる可能性を追求すべきである。
6.なお余談だが、サハリンからサハリン航空で函館経由で東京に戻るつもりであったが、その函館便がキャンセルとなった。何でも機体が中国・大連にあり戻って来れないとの由である。さあ困った、困った。もう一泊して翌日、ユジノサハリンスク(サハリン)→ウラジオストック→ソウル→東京と、何度も乗り継ぎをして帰るか。翌日、ひょっとしたら函館便が飛ぶだろうか、など苦慮していたら、サハリン航空のチャーター便が出るらしい、と領事館に連絡が入った。全身大やけどを負った少年を手術するため、札幌に移送する目的である。昼間から、総領事がサハリン州知事の要請を受けて、札幌の病院とやりとりをしていた話である。そして、結果的に幸か不幸かそのチャーター便に同乗することができた()少年は大変辛そうな様子であったが、手術の成功を祈る次第である。ユジノと札幌は約1時間。近い距離だけに、こうした医療協力など緊密化できると素晴らしいと思う。今回のこの協力をきっかけにさらに連携が深まることを望む次第である。
2.このLNG基地を視察()。一昨年中東のカタールの世界最大のラスラファンLNGプロジェクトを視察した(2006年7月23日活動報告参照)が、このサハリンⅡプロジェクトもかなり大きい。サハリン北部のオハ沖の鉱区で生産される天然ガスをパイプラインで運び()、このLNG基地の2つのライン(「トレイン」と呼ぶ)でLNGに転換される。現在一本目は完成()、二本目が最終工事中で()、本年度末にはLNGの輸出が開始されることとなる。
日本には、年間約500万t輸出される見込みである。これは、日本の全消費量の約8%に当たる量で、2010年以降、インドネシアからの輸入が1200万t→300万tに減少する恐れがある中で、極めて貴重な量である。なお、原油は既に生産が開始されており、沖合い5万kmの積込装置()から、日本向けには7~9万B/日 輸出されている。これは日本の全石油消費量の約2%に該当する。
3.いずれも資源のない我が国にとって極めて貴重な権益(いわゆる「日の丸原油」。日本が投資し権益を有する資源。)である。
実は、このLNG基地は、1905年に日本軍がサハリン上陸を果たした場所であり(はLNG基地全景、⑧は海岸線とLNG船への積出し突堤)、その記念塔もあるが、残念ながら(おそらくロシアに)倒されてしまっている()。もし、このサハリン(特に北部の沖合)に、これほど膨大な石油や天然ガスが眠っていることが分かっていれば、このサハリンを手放すことはなかったであろうし、無理してアジアに南進することもなかったかもしれない。50年先のことを想像した、見据えた政治を行わなければならないのである。そんなことを考えたサハリンⅡLNG基地視察であった。なお基地の中にLNG部分と原油部分を隔てる小川がある()。この小川には秋になると、大量のサケが産卵のために登ってくるという。その保護のために、州政府の規制に基づき特別ゾーンが設けられている。
4.また、もう一つのプロジェクトのサハリンⅠは、エクソン・モービル社が30%、インド国営石油公社小会社が20%、ロシア国営石油会社ロスネフチ小会社が20%、日本のSCDECO(サハリン石油ガス開発会社)が30%の株主で、既に原油については本格生産を開始しており、日量25万Bの生産である。このうち、日本には30%分の7.5万B/日が輸出されている。ガスは現在のところ、ロシアの国内向けに使われているが、今後、生産が本格化すればその仕向け地について、折衝が本格化するわけである。日本とすれば、国家的プロジェクトだけに、2010年頃LNG需給がひっ迫することも勘案すれば、日本向けにまとまった量を確保することが必須である。ロシア政府とも緊密に連携を取りつつ、中国に売る希望の強いエクソン・モービル社との交渉を進める必要がある。
5.ちなみに、サハリンには韓国人が約3万人、日本人約300人の100倍いる。サハリンに来た理由は様々だが、それなりに成功している人も多くサハリンと韓国との貿易は急増している(日本を抜いて第一位に)。また、世界3大商人の一つと言われるアルメニア人やウクライナ人、そして、中央アジアのキルギス・タジキスタンからの移民も多いことに驚く(はホテル近くの防空壕跡を利用してできたバーで働く人たちと。年配の女性2人はアルメニア人、若い女性はキルギスから、男性はタジキスタンから、右端は渡辺総領事)。かつて、日本も間宮林蔵がこのサハリン(樺太)を調査に来た。開拓者魂が、旺盛であったのである。ブラジルでのチャレンジャー精神も既述のとおりである。今一度、閉塞感の強い日本だけに、世界に門を開き、あらゆる可能性を追求すべきである。
6.なお余談だが、サハリンからサハリン航空で函館経由で東京に戻るつもりであったが、その函館便がキャンセルとなった。何でも機体が中国・大連にあり戻って来れないとの由である。さあ困った、困った。もう一泊して翌日、ユジノサハリンスク(サハリン)→ウラジオストック→ソウル→東京と、何度も乗り継ぎをして帰るか。翌日、ひょっとしたら函館便が飛ぶだろうか、など苦慮していたら、サハリン航空のチャーター便が出るらしい、と領事館に連絡が入った。全身大やけどを負った少年を手術するため、札幌に移送する目的である。昼間から、総領事がサハリン州知事の要請を受けて、札幌の病院とやりとりをしていた話である。そして、結果的に幸か不幸かそのチャーター便に同乗することができた()少年は大変辛そうな様子であったが、手術の成功を祈る次第である。ユジノと札幌は約1時間。近い距離だけに、こうした医療協力など緊密化できると素晴らしいと思う。今回のこの協力をきっかけにさらに連携が深まることを望む次第である。