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サハリン紀行(その①)~最果ての地に~
1.この夏、かねてより行きたかったサハリンを訪問。大型のLNG(液化天然ガス)プロジェクトとして期待され、また、ロシア政府・ガスプロム(ロシア最大の天然ガス会社)との著しい交渉が話題となっただけに、エネルギー政策を自任する者として、このLNG基地を出来るだけ早いうちに見ておきたかったのである。

2. 夕方にサハリンのユジノサハリンスク市に到着。州全体の人口52万人のうち、18万人が住む州都であり、かつては、日本が統括していた頃には、「豊原」と呼ばれていた。ちなみに、「ユジノ」は「南の」という意味で、北海道とほぼ同じ大きさのサハリン州(島)の南部に位置する。空から見る「ユジノサハリンスク」は、山に囲まれた、盆地状の都市で(写真①)、あまり高い建物はなく、集合住宅が数多く見える。いずれも旧ソ連時代に建てられた相当古い建物である(、③)。どことなく北海道の地方都市や、17年前に訪れたアルゼンチンの最南端の街・ウシュアイアにも通じる、どこか殺伐とした、最果ての地の印象である。コンビニの看板には、「セブン・イレブン」のマークと「ミニ・ストップ」と書いてある()。知的財産の保護もあったもんじゃないが、中に入るとお酒が山ほどあり、また、肉や野菜もあり、店内はちょっとした雑貨屋のような雰囲気である()。

3.この日は、天気が良く、多くのロシア人は水着姿で日光浴をしていた()。まるで短い夏を存分に楽しみ、限りある太陽の光を余すことなく吸収しているかのようである。黄色や紫、白などの(おそらく高山)植物が咲き乱れ()、大変のどかな光景である。

4.しかし、翌日は、一転して小雨。昨日は水着姿だったロシア人もコートやジャンパーを着る肌寒い一日である()。
早朝からサハリンⅡプロジェクトを視察するため、最南端の街・コルサコフ(旧「大泊」)に向かう。約1時間のドライブ、原野を走り抜けていく。道路はよく整備され、なかなか、快適である。コルサコフ市は人口約4万人、かつては、ロシア潜水艦の基地があったため謎の都市であったが、今は古びた港町の風情である()。かつての王子製紙の工場も廃墟となっている()。このコルサコフと稚内の間をフェリーが往復し、この日も稚内から到着したフェリーから日本の中古車を降ろしていた()。サハリンでは日本の中古車(日本語の文字が書いてある)をよく見かける()。
さて、このフェリーは、日本からの荷物は多いが、サハリンから日本への荷物が少ないため、赤字基調が続き、存続が危ぶまれているという。コンブを養殖し日本に輸入する方も出てきており、一部の商社でも新たなビジネスの展開も模索しているようで、期待したいところである。日本とサハリンの間で、石油・天然ガスの開発だけではなく、食品加工などの新たなビジネス交流が盛んになる事が望ましい。サハリンでの人件費は約10万円/月。決して安くはないが、水産資源は豊富であり、また、日本ともゆかりのある場所だけに民間の方々には、是非ビジネスチャンスを活かして欲しいものである。