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1年5ヶ月ぶりのインド
1.昨年1月にガンジーの「サティヤグラハー」式典に参加して以来(2007年2月1日活動報告参照)以来のインドである。昨年は、7月の参院選の敗北、9月の安倍総理の退陣、インド洋でのテロ阻止活動担当の理事(国際テロ防止並びにイラク人道支援特別委員会理事)拝命、道路財源担当の理事(衆議院国土交通委員会理事)を拝命し、この間インドを訪問するチャンスがなかった。それまで2~3ヶ月に1度は訪問していたから、インドの友人、知人も「中国との関係が回復したから、またインドを遠ざけているのか」とか「安倍さんが代わったからインドが軽視されている」とか、不満や批判も聞こえてきていた。

2.しかし、実は、日印の経済関係はしっかり立ち上がったから、私が日本の考えを説明したり、共同のプロジェクトを提案したりする必要性が薄らいだことも大きな理由の一つである。実際、事実上、日本の「太平洋ベルト地帯」の経験を参考に私の提案した「デリームンバイ産業大動脈構想(DMIC:Dehli-Mumbai Industrial Corridor)」は動き始めたし、この3年間で日印の①貿易量は約2倍に(6117億円→1兆2139億円)、②日本からインドへの投資額も約4倍に(425億円→1890億円)と大幅に増加している。このことは、盟友グルパル・シン・CII(インド産業連盟)事務局長とも確認したところである(写真①)。
今回は、何よりこのインドの成長ぶりを見たかったのである。

3.まず、デリー国際空港がすっかりキレイになった()。薄汚い雰囲気であったのが、近代的な雰囲気になった。そして、空港から中心部への道路もバイパス的に整備された。これまで、中国とインドの差は、「インフラの整備のスピード」にあるのではないか、とも考えたことがあったが、ようやくインドも「離陸」を始めたのかもしれない。

4.しかし、バングラディシュのダッカから来たがために、そんな印象を持ったのかもしれない、と自問しながら注意深く街を観察していたが、やはり確実に都市の中間層は増えているようだ。第一に、トヨタのカローラが目立つようになったことである。これまでは、スズキの軽自動車が圧倒的なシェア(約40~50%)だったのであるが、中型車が増えてきている。第二に、あちこちにショッピング・モールができていることである。2005年3月に、安倍さん(当時幹事長代理)とデリーに来た時には、古いショッピング・モールしかなかったし、ちょうど中に入ったとき、停電も起きた。様変わりである。夜遅くまで若者が、モール内の映画館にも押し寄せている()。ソニーの専門店もあり、かなりの売上げ増だという()。しかし、モールの中にも牛が自然にいる(共存する)姿には、「昔と変わらない」と安心もする(、⑥、⑦)。

5.しかし、経済運営は大変なようだ。親友のデオラ議員(2006年8月5日活動報告参照)の父、デオラ石油大臣、インド石油会社総裁とも意見交換を行った(、⑨)が、ガソリン価格の上昇、電力確保などに頭を痛めているようだった。同席した石油会社の担当者は、LNGについても詳しく聞かれていた。やはり力のある大臣である。あちこち電話をかけたりしていた。ちょうど米国との原子力協定を巡って連立を組む左派政党が離脱しそうな状況で、新たに連立に入るべく交渉している政党も「デオラ大臣」の更迭を主張しているとのことである。気が気でなかったに違いない。今回は私もゆっくり時間を取れなかったが、次回は、双方ともに総選挙を終えて、落ち着いて意見交換をしたい。
夜は、在デリーの日本企業の皆さんと懇談。久しぶりにお会いする方も多く、最近の経済状況など、意見を交わす()。