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ブラジル・米国他南北アメリカ大陸出張報告(その⑦:ボリビア編(1):サンタ・クルスNo.1)~日本人移住地「オキナワ」訪問。~
1.6月22日(日)夕方、サンパウロから隣国ボリビアのサンタ・クルス市へ。
日本・ボリビア友好議員連盟の事務局長として、昨年5月首都ラ・パスを訪問し(2007年5月17日活動報告参照)、モラレス大統領にお会いして以来2度目の訪問である。サンタ・クルス州には、「オキナワ」と「サン・ファン」という日本人の移住地(コロニアル)があり、それぞれつい最近移住50周年の式典を行ったところである。昨年は、このサンタ・クルスに訪問する時間がなかったため、今回訪問した次第である。
2.22日(日)夜は、旧知の日系・ナカタニ下院議員と夕食会(写真①)。サンタ・クルス名物「シルパンチョ」()や「ワリ」ビール()を頂きながらの意見交換。「シルパンチョ」は、細かく刻んだ野菜の上に、薄いトンカツのような肉と目玉焼きが乗り、なかなかの美味。アルゼンチン・チリ国境近くのぶどう畑から取れるワイン「コールバーグ」もなかなかいける()。粗けずりの味ではあるが、とても南米最貧国とは思えない食事をしながら、日本との連携強化についての話が進む。鉱山開発、豊富な自然エネルギーの活用、IT化の推進など幅広いテーマについて意見を交す。
3.23日(月)は、朝早くホテルを出発し、2つの入植地「オキナワ」と「サン・ファン」に向かう。オキナワはサンタ・クルス市中心部から約90Km、サン・ファンは約130Km、そして両者は約120Km離れているが一日で両方訪問しようという強行日程である。それでもサンタ・クルスに宿泊して両コロニアルを訪問した国会議員は初めてとの由、そのため自然と気合いが入る。
4.9時半すぎオキナワに到着()。宮城・日本ボリビア協会会長、比嘉・農協(カイコ)組合長はじめ多くの皆さんに歓迎を受ける。まずは先没者の慰霊塔で参拝し、皆さんと記念撮影()。資料館を見学しながら、1954年移住した当時の苦しさ、厳しさを伺う。道も家もない原生林の中を開拓していかれた苦労には頭が下がる。アナコンダさながらの大蛇()やヒョウ(?:)とも戦いながらの開拓である。一時期「うるま病」と呼ばれる伝染病(ペスト?)が流行し、14人もの方が亡くなったという。その厳しさは想像を絶するものがある。
5.その後、各家族に50haの土地が配分され、綿花、米、小麦などの生産など試行錯誤を重ね、現在の平均300haの大農園主としての生活を築き上げられた。現在、日系人は市の約6%の約900人、ボリビア人の奥さんをもらった2世も多く、混血の3世の子供たちは本当に可愛いという。
今の時期は、日本と反対の冬で、ちょうど一年で日が最も短く、最も寒い時期にあたる。冬作の小麦がよく成長しており(、⑩、⑪)、国際価格も高騰しているため、オキナワの皆さんは、8月の小麦の収穫に期待を寄せている。
特に、2年続いて、近くのリオ・グランデ(「リオ」は「河」という意味だから、グランデ河)が氾濫し大きな被害が出た()ため、期待は大きい(全体約5万haのうち約7000haの被害)。これからよく襲われる暴風雨(ボリビアは内陸国のため、「ハリケーン」とは言わない)さえ来なければ、と話していた。中には、小麦と小麦の間に「ソルゴー」と呼ばれる飼料用作物(あわ、ひえの類)を植え、風を防ぐ人もいる。ソルゴーは2m近く成長するからであるが、各々に創意工夫、試行錯誤しながらの農業経営である。
日本・ボリビア友好議員連盟の事務局長として、昨年5月首都ラ・パスを訪問し(2007年5月17日活動報告参照)、モラレス大統領にお会いして以来2度目の訪問である。サンタ・クルス州には、「オキナワ」と「サン・ファン」という日本人の移住地(コロニアル)があり、それぞれつい最近移住50周年の式典を行ったところである。昨年は、このサンタ・クルスに訪問する時間がなかったため、今回訪問した次第である。
2.22日(日)夜は、旧知の日系・ナカタニ下院議員と夕食会(写真①)。サンタ・クルス名物「シルパンチョ」()や「ワリ」ビール()を頂きながらの意見交換。「シルパンチョ」は、細かく刻んだ野菜の上に、薄いトンカツのような肉と目玉焼きが乗り、なかなかの美味。アルゼンチン・チリ国境近くのぶどう畑から取れるワイン「コールバーグ」もなかなかいける()。粗けずりの味ではあるが、とても南米最貧国とは思えない食事をしながら、日本との連携強化についての話が進む。鉱山開発、豊富な自然エネルギーの活用、IT化の推進など幅広いテーマについて意見を交す。
3.23日(月)は、朝早くホテルを出発し、2つの入植地「オキナワ」と「サン・ファン」に向かう。オキナワはサンタ・クルス市中心部から約90Km、サン・ファンは約130Km、そして両者は約120Km離れているが一日で両方訪問しようという強行日程である。それでもサンタ・クルスに宿泊して両コロニアルを訪問した国会議員は初めてとの由、そのため自然と気合いが入る。
4.9時半すぎオキナワに到着()。宮城・日本ボリビア協会会長、比嘉・農協(カイコ)組合長はじめ多くの皆さんに歓迎を受ける。まずは先没者の慰霊塔で参拝し、皆さんと記念撮影()。資料館を見学しながら、1954年移住した当時の苦しさ、厳しさを伺う。道も家もない原生林の中を開拓していかれた苦労には頭が下がる。アナコンダさながらの大蛇()やヒョウ(?:)とも戦いながらの開拓である。一時期「うるま病」と呼ばれる伝染病(ペスト?)が流行し、14人もの方が亡くなったという。その厳しさは想像を絶するものがある。
5.その後、各家族に50haの土地が配分され、綿花、米、小麦などの生産など試行錯誤を重ね、現在の平均300haの大農園主としての生活を築き上げられた。現在、日系人は市の約6%の約900人、ボリビア人の奥さんをもらった2世も多く、混血の3世の子供たちは本当に可愛いという。
今の時期は、日本と反対の冬で、ちょうど一年で日が最も短く、最も寒い時期にあたる。冬作の小麦がよく成長しており(、⑩、⑪)、国際価格も高騰しているため、オキナワの皆さんは、8月の小麦の収穫に期待を寄せている。
特に、2年続いて、近くのリオ・グランデ(「リオ」は「河」という意味だから、グランデ河)が氾濫し大きな被害が出た()ため、期待は大きい(全体約5万haのうち約7000haの被害)。これからよく襲われる暴風雨(ボリビアは内陸国のため、「ハリケーン」とは言わない)さえ来なければ、と話していた。中には、小麦と小麦の間に「ソルゴー」と呼ばれる飼料用作物(あわ、ひえの類)を植え、風を防ぐ人もいる。ソルゴーは2m近く成長するからであるが、各々に創意工夫、試行錯誤しながらの農業経営である。