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サティヤグラハー100周年記念国際会議「平和、非暴力、そして権利獲得」に日本代表として出席
1.2年前の3月に安倍晋三幹事長代理と初めてインドを訪問して以来、9回目訪印は、日本代表としてガンジーを偲ぶ国際会議への出席となりました。(「サティヤグラハー」とは有名なマハトマ・ガンジーによって南アフリカで始められた、非暴力的抵抗を目的とする運動で、今会議は100周年を記念して与党・インド国民会議派が主催した国際会議です。)

2.今回は国会開催中のため日程的にかなり窮屈な出張で、28日(日)夜に関西空港を出発、上海で4時間のトランジット(乗換え待ち)、そしてバンコク経由のインド航空のフライトに乗り継ぎ、29日早朝にニューデリー着という、少し眠ったと思えばすぐ起こされることの繰り返しの少々辛いフライトでした。

3.ニューデリーでは、旧知のパラムラジェ国防担当大臣が迎えてくれ、会場に向かいました。会場では、盟友ラフル・ガンジー(このHPでも何度も登場、将来の有力なインド首相候補です)議員と固い握手。また、安倍総理と一緒に会ったシーラ・ディクシット・デリー州首相や、科学技術担当大臣と挨拶。さらに各国の代表とも言葉を交わしました。特にインドネシアのカラ副大統領は最前列で存在感を示しています。

4.会議の合間では、首相府や外務省の幹部と意見交換。昨年12月のマンモハン・シン首相の来日の成功とEPA(経済連携協定)交渉の本格化を確認しつつ、(私がおそらく最初に提唱し)両首脳間で合意した「デリー・ムンバイ・産業集積回廊構想」の今後の取り組みや、バイオ由来燃料の開発と農村振興など様々な話題について意見交換しました。

5.そして、マンモハン・シン首相主催のランチ、国民会議派(コングレス党)ソニア・ガンジー党首主催のディナーでは、コングレス党の若手の仲間と旧交を温めました。ムンバイ(旧ボンベイ)選出のデオラ議員(父上は石油大臣)、パイロット議員(名前のとおり、亡くなったお父さんは元航空大臣)、ヤスキー議員などなど。もう何度も会ってる仲間ばかりで、皆んな日印関係の急速な進展を喜んでいました。私もインド友好若手議員の会事務局長として、引き続きしっかりと信頼関係を構築してまいります。

6.また、29日、30日とも二夜続けて、結婚式に出席しました。もう4回目の結婚式の出席です。インドに仲間が増えてきたことの証しでしょうか。案内をもらえるのは本当にうれしいです。29日はインドの中流家庭のウエディングでしたが、それでも1000人近くの出席者でしょうか。30日はかなり上流階級の方の結婚式です。写真で2つの結婚式の違いがお分かりになるでしょうか。

7.2月13日~15日には、インド産業連盟(CII)による国際技術展がデリーで開かれ、森喜朗元総理が出席されます。本来なら私も同行・出席しなければならないのですが、2月は予算委員会のまっただ中。予算委員としては与野党対決の大事な議論に参加しないわけにはいきません。次のインド訪問はしばらくお預けとなりそうです。

  • マンモハン・シン首相と固い握手。
  • 国民会議派(コングレス党)のソニア・ガンジー党首と。
  • そのご長男、盟友・ラフル・ガンジー議員。
  • 日本代表席で、先輩の上川陽子議員と。
  • カタール代表と挨拶。
  • インドネシアのカラ副大統領と。
  • 何と、スリランカ代表は、メリーランド大学留学時の同級生のサージ・プレマダサです。お父様は元大統領です。
  • 今回も結婚式に出席(29日)。花嫁の登場は何と夜の11:30頃です。インドでは夜通しでお祝いします。3日間くらい続くことも珍しくありません。
  • 華やかな結婚式場の雰囲気。
  • 2つ目の結婚式(30日)。前日の結婚式とはまた違う雰囲気です。
  • 30日の朝は、サティン・パイロット議員の自宅でに招かれました。
  • このパイロット議員の自宅は、官舎ですが、一軒家で大統領府のすぐ前の絶好のロケーション。庭には、サルやリスもたくさんいます。