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GW出張報告(その5:ヨルダン編②)
1.ペトラ見学の後、すぐ近くのホテルでランチを取り、そこで河野太郎代議士一行とは別れた。私は、アンマンに戻り、市内視察の後、サウジ・アラビアのジェッダに飛び、日本とサウジの協力の一つである自動車研修施設の訪問である。河野代議士一行は、今回の会議の開催予定地であったアカバでアカバ湾の港などを視察の後、帰国の予定である。河野さんたちと一緒の時間はわずか18時間。あっという間だった。来年こそは、この地で中東の若手リーダーと議論したいものである。ちなみに、河野太郎氏は、別れ際に「本当に申し訳なかった。西村さんが総裁選に出るときは無条件で推薦人になります」と言ってくれた。私は十分にヨルダンを楽しんだし(この後さらにハプニングが待っているのであるが)、河野さんこそ、総裁選の立候補を考えているのでは、と思うが、とにかく友情を確認して別れを告げた。
2.私は、ヨルダン政府の3人に連れられ、アンマンに向かった。運転手さんとこの二人が案内してくれるのか、と思ってアンマン市内に入ると、一人降り、また一人降り、とうとう運転手さんだけが「案内します」とのことである。極めて不安になった。出国手続きはちゃんとできるのだろうか、この人はどういう人だろうか・・・・。
3.車が混んでくると、突然「ピーポー、ピーポー」とサイレンを鳴らし始める。聞いてみると、首相府に勤める運転手さんだそうで、「この車は優先権があるんです」と言いながら、スピードを上げる。アメリカの領事館が機関銃で護衛されている光景などを案内してくれながら、その周辺の高級住宅街を通った。すると、「ヨルダンは半分の人が金持ちで、こんな大きな家に住んでいる。そして、こんな高級なレストランで食事もしている」と言いながら、スターバックスを指差していた。さらに続ける。「後の半分は、貧乏な暮らしをしているんです。2,3分いただけませんか?」「はあ・・」「私の住んでる地域を見てもらえますか?」。なんかとんでもない方向になってきたぞ・・・。
4.高台の高級住宅街から坂を下ると、そこには、丘の谷間にこれでもかと家が密集していた。汚い格好の子供たちが走り回っている。貧民街とは言わないまでも相当な地域である。「うちでコーヒーでも飲みませんか?」。ここまできて断れない。「は、はい。」
5.三階建ての建物で、一階と二階は、二人の弟さん家族がそれぞれ住んでいるという。階段で三階に上がり、さらに、屋上へと上がった。屋上には、隅のほうにテーブルといくつかの椅子が並んでいる。どうやら接客用のセットらしい。ほこりをふきながら「どうぞこちらへ」。座るやいなや、次から次へと可愛らしい娘さんたちが現れた。四人兄弟で、一番上が男の子(18歳)で出かけている。あとは三姉妹。上から、17歳(高校三年生)、10歳、6歳。どこかの家族とよく似ている。たどたどしい英語を話す17歳と10歳の娘さんたちと、ヨルダンの生活や将来の希望について、時を忘れるほど話をし、すっかり意気投合してしまった(6歳の子はママとお出かけ中)。何とも苦いアラビック・コーヒーも頂いた。東京という地名は聞いたことがあるが、日本のことは良く知らない。17歳の子は大学に行きたいが、家族にそれだけの余裕がない。運転手さんから「何とかしてやりたい。いい方法はないか」と相談(陳情?)も受けた。進学を望む若者が、その希望が叶わないことほどかわいそうなことはない。私も、奨学金を受けて大学に進学した身である。その気持ちは痛いほどわかる。この子の英語はまずまずしっかりしている。日本への留学も含めて知恵を絞ることにした。
6.その後、運転手さんに、見晴らしのいい丘にある遺跡(やはりローマの影響を受けている)やモスク(こちらはウマイヤ朝の仕様である。そういえば歴史にでてきたなあ。)に連れて行ってもらい、人口250万人のアンマンの街並みを眺めた。14年前に訪れたギリシャのミコノス島を思い出す光景である。丘に、谷間に、家、家、家。ぎっしりである。さらに、アンマンの普通の人が買い物をするスーク(市場)も案内してもらった。大きなとうがらしや貧相な玉ねぎが並んでいる(淡路産のものとは比べ物にならない)。すっかり、ヨルダン市民の生活を味わわせてもらった。いよいよ空港に向かう時間である。「ちょっと待ってて下さい。」最後にもう一つ驚かされた。「妻と一番下の子が一緒に空港に行きます。」
7.こうして、運転手さんの奥さんと末っ娘さんに付き添われながら、空港に着いた。彼がいろいろ手続きをしてくれ、いよいよ入国審査、というときに、またまた突然、別のヨルダン人に声をかけられた。「西村さんですか?探していました。大使がVIPルームでお待ちしています。」そんなことぜんぜん聞いてないぞ~。あの運転手さんは、今日は日本からの国会議員を案内し、空港から送り出す公務のはずである。なのに、自宅に連れて行き、家族でお見送り、さらには、日本大使館との連絡漏れ。何ともいえない公務員。だが、憎めない。本来彼らにとっての休日にもかかわらず、アンマン市内の主なスポットを丁寧に案内してくれたし、ヨルダン国民の普通の生活も教えてくれた。私にとっては、大変貴重な一日となった。この運転手さんに心から感謝したいし、長女さんの進学に何とか力になれればと思う次第である。
8.ちなみに、この中東行きは、すべて自費であることを補足しておきたい。このような報告をすると、遊びに行っているかの誤解を受けそうだからである。自費で、中東の若き指導者たちと意見交換をする予定だったのである。残念ながら会議は延期となったが、中東を理解する貴重な経験をできたことを強調したい。この経験が、今後中東の国々と付き合う上で必ずやプラスとなると確信している。
2.私は、ヨルダン政府の3人に連れられ、アンマンに向かった。運転手さんとこの二人が案内してくれるのか、と思ってアンマン市内に入ると、一人降り、また一人降り、とうとう運転手さんだけが「案内します」とのことである。極めて不安になった。出国手続きはちゃんとできるのだろうか、この人はどういう人だろうか・・・・。
3.車が混んでくると、突然「ピーポー、ピーポー」とサイレンを鳴らし始める。聞いてみると、首相府に勤める運転手さんだそうで、「この車は優先権があるんです」と言いながら、スピードを上げる。アメリカの領事館が機関銃で護衛されている光景などを案内してくれながら、その周辺の高級住宅街を通った。すると、「ヨルダンは半分の人が金持ちで、こんな大きな家に住んでいる。そして、こんな高級なレストランで食事もしている」と言いながら、スターバックスを指差していた。さらに続ける。「後の半分は、貧乏な暮らしをしているんです。2,3分いただけませんか?」「はあ・・」「私の住んでる地域を見てもらえますか?」。なんかとんでもない方向になってきたぞ・・・。
4.高台の高級住宅街から坂を下ると、そこには、丘の谷間にこれでもかと家が密集していた。汚い格好の子供たちが走り回っている。貧民街とは言わないまでも相当な地域である。「うちでコーヒーでも飲みませんか?」。ここまできて断れない。「は、はい。」
5.三階建ての建物で、一階と二階は、二人の弟さん家族がそれぞれ住んでいるという。階段で三階に上がり、さらに、屋上へと上がった。屋上には、隅のほうにテーブルといくつかの椅子が並んでいる。どうやら接客用のセットらしい。ほこりをふきながら「どうぞこちらへ」。座るやいなや、次から次へと可愛らしい娘さんたちが現れた。四人兄弟で、一番上が男の子(18歳)で出かけている。あとは三姉妹。上から、17歳(高校三年生)、10歳、6歳。どこかの家族とよく似ている。たどたどしい英語を話す17歳と10歳の娘さんたちと、ヨルダンの生活や将来の希望について、時を忘れるほど話をし、すっかり意気投合してしまった(6歳の子はママとお出かけ中)。何とも苦いアラビック・コーヒーも頂いた。東京という地名は聞いたことがあるが、日本のことは良く知らない。17歳の子は大学に行きたいが、家族にそれだけの余裕がない。運転手さんから「何とかしてやりたい。いい方法はないか」と相談(陳情?)も受けた。進学を望む若者が、その希望が叶わないことほどかわいそうなことはない。私も、奨学金を受けて大学に進学した身である。その気持ちは痛いほどわかる。この子の英語はまずまずしっかりしている。日本への留学も含めて知恵を絞ることにした。
6.その後、運転手さんに、見晴らしのいい丘にある遺跡(やはりローマの影響を受けている)やモスク(こちらはウマイヤ朝の仕様である。そういえば歴史にでてきたなあ。)に連れて行ってもらい、人口250万人のアンマンの街並みを眺めた。14年前に訪れたギリシャのミコノス島を思い出す光景である。丘に、谷間に、家、家、家。ぎっしりである。さらに、アンマンの普通の人が買い物をするスーク(市場)も案内してもらった。大きなとうがらしや貧相な玉ねぎが並んでいる(淡路産のものとは比べ物にならない)。すっかり、ヨルダン市民の生活を味わわせてもらった。いよいよ空港に向かう時間である。「ちょっと待ってて下さい。」最後にもう一つ驚かされた。「妻と一番下の子が一緒に空港に行きます。」
7.こうして、運転手さんの奥さんと末っ娘さんに付き添われながら、空港に着いた。彼がいろいろ手続きをしてくれ、いよいよ入国審査、というときに、またまた突然、別のヨルダン人に声をかけられた。「西村さんですか?探していました。大使がVIPルームでお待ちしています。」そんなことぜんぜん聞いてないぞ~。あの運転手さんは、今日は日本からの国会議員を案内し、空港から送り出す公務のはずである。なのに、自宅に連れて行き、家族でお見送り、さらには、日本大使館との連絡漏れ。何ともいえない公務員。だが、憎めない。本来彼らにとっての休日にもかかわらず、アンマン市内の主なスポットを丁寧に案内してくれたし、ヨルダン国民の普通の生活も教えてくれた。私にとっては、大変貴重な一日となった。この運転手さんに心から感謝したいし、長女さんの進学に何とか力になれればと思う次第である。
8.ちなみに、この中東行きは、すべて自費であることを補足しておきたい。このような報告をすると、遊びに行っているかの誤解を受けそうだからである。自費で、中東の若き指導者たちと意見交換をする予定だったのである。残念ながら会議は延期となったが、中東を理解する貴重な経験をできたことを強調したい。この経験が、今後中東の国々と付き合う上で必ずやプラスとなると確信している。