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阪神・淡路大震災10年追悼式に想う
1.10年前のあの忌まわしい大震災は6000人を超える生命を奪い、未だ多くの被害者の方々に心の傷を残している。震災翌日、何時間もかかって地元に水や食糧を届けに行ったときに見た神戸の光景は、いたるところで火が上がり道が割れ、まるで映画の一シーンのようであった。

2.その後、私は政府の復興対策本部の上級局員として、いくつかの復興プロジェクトにかかわった。神戸市・長田区の「くつのまちながた」構想はその一つであり、また、後に「先端医療産業都市構想」につながる最初の調査研究事業もそうであった。

3.しかし「フリー・トレードゾーン構想」(自由貿易地域構想)は「『一国二制度』だからダメ」など中央官庁の厚い壁を感じたのも事実である。しかし、私たちの町を破壊した大地震は、中央官庁の「官僚機構」を“破壊”できなかったものの、“ヒビ”を入れることはできた。この時の議論が、その後の「特区」制度につながるわけであるし、この時の経験が生かされ、昨年の台風・地震被害では「激甚災害」の指定を前例のない早さで決定した。また、この阪神・淡路大震災の時のボランティア活動の広がりがその後のNPO法人制度につながったのである。
 現在、2万を超えるNPO法人のうち、税制の優遇措置の対象となるNPO法人がわずか“19”と耳を疑いたくなる少なさであり、未だ道半ばではあるが、あの大震災を期に、社会の仕組みが大きく変化し出したことも事実である。

4.今まさに、戦後システムを見直し、政治・経済・社会の新たなシステムを築き始める時である。官僚機構に支配されることなく、国民のため、国益にかなうよう、政治がしっかりとリーダーシップを取らなければならない。この大事な時に国会に送っていただいていることを感謝しつつ、10年前の教訓を胸に、その責任をしっかりと果たしたい。


衆議院議員 西村やすとし