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瀧川福市さんを送る
淡路信用金庫の元理事長・瀧川福市さんのお別れ会が開かれ、弔辞を読んだ。
瀧川さんは、尋常小学校を卒業して、すぐに米屋さんにでっちに入り、30才のときに青年団の仲間とともに、地元の商売人を応援する金融機関が必要だと思い、今の淡路信用金庫の前身を立ち上げたのである。まさに、淡路の立志伝中の方で、「巨星落つ」という表現がピッタリである。私が読んだ「お別れの言葉」は以下の通りである。
故瀧川福市様を偲び、謹んで哀悼の辞を捧げます。
本日ここで、瀧川さんの遺影の前でこうして弔辞を読まなければならないことは、私に取りまして、誠に無念であり、大きな悲しみであります。
瀧川さんは、20世紀初頭よりこの激動の1世紀を駆け抜け、数々の業績を上げられました。 正に輝ける素晴らしい人生だったと思います。 99歳の天寿を全うされ、おそらくは思い残すことなくあの世に旅立たれたことと存じますが、私に取りまして、人生の、そして地元の大先輩の瀧川さんとここでお別れする事は、本当に心残りでなりません。
7年前、私が初めて立候補すべく東京から地元に戻って以来、瀧川さんには折に触れて声をかけていただきました。特に、最初の選挙で落選した折、気落ちする私を何かの席で、瀧川さんが「若さでがんばれ。 君らの時代や。」 と励ましてくださったことは、今でも忘れることが出来ません。 2度目の挑戦で初当選を果たした後も、いろいろな会でお目にかかる度に、やさしい、人懐っこい笑顔を見せて下さり、いつも元気をいただいてまいりました。 かけがえのない人生の大先輩でありました。
瀧川さんは皆様もご承知の通り、30歳の若さで、現在の淡路信用金庫を創立され、地元を代表する金融機関に育て上げられました。 一貫して地域に密着した経営方針を取られ、地域の金融機関としての役割に徹し、地元の中小企業を応援、この淡路の経済を支えてこられました。
昭和53年から平成3年までは、洲本商工会議所会頭として、地元の中小企業や商店街の支援はもちろんのこと、洲本のまちづくりにご尽力されました。 そしていつも、若い人に目をかけて下さり、商工会議所の青年部や、JC(青年会議所)の志ある若手にも数々のチャンスを与えて下さいました。 地元淡路、洲本の発展に尽くされた業績は計り知れません。
暖かいお人柄と、やさしい笑顔、そして地元を思う熱い心と強い意志を持った瀧川さんが、その生涯を通じて地元淡路、洲本のために尽くしてこられた事柄ひとつひとつを言い尽くすことは出来ませんが、ここに改めて心から感謝申し上げる次第です。
瀧川さんが長年にわたりこよなく愛し、育ててこられた私達の美しいふるさと「淡路、洲本」、瀧川さんのご遺志を継いで、私もその発展に全力を尽くしてまいることをここにお誓い申し上げます。
安心してお眠り下さいませ。 そして、どうぞ天国よりお見守り下さいませ。
瀧川福市様のご冥福を心よりお祈り申し上げまして、私の弔辞といたします。
瀧川さんは、尋常小学校を卒業して、すぐに米屋さんにでっちに入り、30才のときに青年団の仲間とともに、地元の商売人を応援する金融機関が必要だと思い、今の淡路信用金庫の前身を立ち上げたのである。まさに、淡路の立志伝中の方で、「巨星落つ」という表現がピッタリである。私が読んだ「お別れの言葉」は以下の通りである。
故瀧川福市様を偲び、謹んで哀悼の辞を捧げます。
本日ここで、瀧川さんの遺影の前でこうして弔辞を読まなければならないことは、私に取りまして、誠に無念であり、大きな悲しみであります。
瀧川さんは、20世紀初頭よりこの激動の1世紀を駆け抜け、数々の業績を上げられました。 正に輝ける素晴らしい人生だったと思います。 99歳の天寿を全うされ、おそらくは思い残すことなくあの世に旅立たれたことと存じますが、私に取りまして、人生の、そして地元の大先輩の瀧川さんとここでお別れする事は、本当に心残りでなりません。
7年前、私が初めて立候補すべく東京から地元に戻って以来、瀧川さんには折に触れて声をかけていただきました。特に、最初の選挙で落選した折、気落ちする私を何かの席で、瀧川さんが「若さでがんばれ。 君らの時代や。」 と励ましてくださったことは、今でも忘れることが出来ません。 2度目の挑戦で初当選を果たした後も、いろいろな会でお目にかかる度に、やさしい、人懐っこい笑顔を見せて下さり、いつも元気をいただいてまいりました。 かけがえのない人生の大先輩でありました。
瀧川さんは皆様もご承知の通り、30歳の若さで、現在の淡路信用金庫を創立され、地元を代表する金融機関に育て上げられました。 一貫して地域に密着した経営方針を取られ、地域の金融機関としての役割に徹し、地元の中小企業を応援、この淡路の経済を支えてこられました。
昭和53年から平成3年までは、洲本商工会議所会頭として、地元の中小企業や商店街の支援はもちろんのこと、洲本のまちづくりにご尽力されました。 そしていつも、若い人に目をかけて下さり、商工会議所の青年部や、JC(青年会議所)の志ある若手にも数々のチャンスを与えて下さいました。 地元淡路、洲本の発展に尽くされた業績は計り知れません。
暖かいお人柄と、やさしい笑顔、そして地元を思う熱い心と強い意志を持った瀧川さんが、その生涯を通じて地元淡路、洲本のために尽くしてこられた事柄ひとつひとつを言い尽くすことは出来ませんが、ここに改めて心から感謝申し上げる次第です。
瀧川さんが長年にわたりこよなく愛し、育ててこられた私達の美しいふるさと「淡路、洲本」、瀧川さんのご遺志を継いで、私もその発展に全力を尽くしてまいることをここにお誓い申し上げます。
安心してお眠り下さいませ。 そして、どうぞ天国よりお見守り下さいませ。
瀧川福市様のご冥福を心よりお祈り申し上げまして、私の弔辞といたします。