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ベトナム出張報告
1. 5月7日~9日、三度目のベトナム出張(2008年12月14日活動報告参照)。2008年12月以来の訪問で、変化の速さに思わず目を見張る。リーマン・ショック後の世界不況はあったものの、一年半の間に街中を走るバイクの数は大幅に増え、しかも、ホンダのいわゆるカブ・タイプに代わり、より高級なスクータータイプのものが増えていた(写真①)。平均年齢29才の8,700万人の人口を擁し、ベトナムが着実に成長していることを目の当たりにした次第である。
2. 5月7日(金)、午後、首都ハノイ・ノイバイ空港に到着後、すぐに二トリのベトナム工場であるマルミツを訪問()。二トリは北海道が本社のホームセンターで、勝ち組の一つに挙げられるが、このベトナム工場とインドネシア工場で、商品のすべてを生産している。ベトナム工場のワーカーの給料は1万円程度。約1,270人のワーカーのうち、毎月70人程度は転職し、その穴埋めに新たに募集をかけるそうだ。しかし、これだけの人口があっても、人手不足でなかなか集まらないという。中国と違って、田舎から都市部へ出てくる若者が少ないようだ。ハノイの街の魅力をもっと上げなければならないとのこと。また、滞在中に、日本の工場でストライキも起こった。やはりまだまだ課題もある。
3. その後、フォン科学技術大臣と会談()。衛星2号機や原子力発電第2サイトの日本製採用に向けて働きかけを行った。日本の技術が優れていることはよく理解されているが、あとは、価格や、トータル(全体)としての協力が鍵だ。円借款で支援することになったハイテク工場団地・ホアラックハイテクパークの宇宙センター予定地に、最初に足を踏み入れた日本の国会議員として、しっかりとフォローしたいと思う。
夜は、在ベトナムの日本企業の集まりである商工会の幹部の皆さんと意見交換。
4. 8日(土)は、日本さつき祭りのオープニングで挨拶()。今回は日本の表参道商店街の皆さんが中心となって開催され、ベトナムで日本語を学ぶ学生の多くのチームがよさこいを披露し、大いに盛り上がる()。
午後には、キャノンの工場、伊藤忠のジーンズ工場を視察。住友商事が開発したタンロン工業団地にあるキャノンの工場は4年前に訪問((2006年6月8日活動報告参照)して以来だが、この4年間で生産額が倍増とのこと。ここでも成長ぶりに驚いた。しかも、人件費の上昇に対応するため、機械化、無人化を進めようとしており、安い人件費・豊富な労働力を活かした、いわゆる「労働集約型」の生産スタイルから、早くも脱し、次の段階に進もうとしている経営姿勢が印象的であった。このタンロン工場の9,200人、近くのクエボー工場5,900人、ティエンソン工場2,900人と合わせて18,000人もの生産拠点であるが、既に将来を見据えた経営なのである()。
5. 伊藤忠のジーンズ工場は、また別の意味で驚いた()。作業はほとんど手作業でまさに「労働集約型」だが、世界の人気ブランドの商品を生産しており、最近の若者の好みである、ほどほどの色落ち具合を出すなど、想像以上に細かいテクニック・ノウハウが隠されていることがよくわかった。ユニクロもベトナム南部で委託生産を行っており、ある意味で、ベトナムは、最近では中国に代わる繊維産業大国・生産拠点となっている。
6. 夕方には、有名な水上人形劇のショーを見学()。もちろん、私の地元淡路の人形浄瑠璃の方が動きは繊細でレベルは高いことは言うまでもないが、長い棹(さお)とひもだけで水上を自由に動き回る人形(パペット)は不思議な感じだ。ここにもノウハウが隠されている。言葉はわからないが、それなりに楽しめるショーである。
そして、夜は、商工会議所の会頭で国会議員でもあるロックさんと懇談させて頂いた。マイン書記長やズン首相にも近く、また、日本の国会議員にも知人が多い親日派の実力者の一人である。かなり突っ込んだ意見交換を行った。
7. 9日は日曜のため、かねてから行ってみたかったハロン湾を見学。片道車で3時間半の行程はかなりきついが、途中、陶器のバッチャン村を訪問したり()、黒くなっている石炭山を見ながら進む。ハロン湾には約500もの観光船があり、ホテルも建ち始め、徐々に観光地化していっている。今はまだ、素朴なベトナムの漁村の良さを残しているが、5年後に来れば様変わりしているに違いない()。日本の援助で作った橋()、水上生活をしておられる約200人の集落(?)()を見ながら、約3時間の遊覧。鍾乳洞を歩いたり、また、美味しい海鮮料理を食したり、奇岩を眺めたり、のあっという間の3時間である。やはりベトナム観光の醍醐味である。
2. 5月7日(金)、午後、首都ハノイ・ノイバイ空港に到着後、すぐに二トリのベトナム工場であるマルミツを訪問()。二トリは北海道が本社のホームセンターで、勝ち組の一つに挙げられるが、このベトナム工場とインドネシア工場で、商品のすべてを生産している。ベトナム工場のワーカーの給料は1万円程度。約1,270人のワーカーのうち、毎月70人程度は転職し、その穴埋めに新たに募集をかけるそうだ。しかし、これだけの人口があっても、人手不足でなかなか集まらないという。中国と違って、田舎から都市部へ出てくる若者が少ないようだ。ハノイの街の魅力をもっと上げなければならないとのこと。また、滞在中に、日本の工場でストライキも起こった。やはりまだまだ課題もある。
3. その後、フォン科学技術大臣と会談()。衛星2号機や原子力発電第2サイトの日本製採用に向けて働きかけを行った。日本の技術が優れていることはよく理解されているが、あとは、価格や、トータル(全体)としての協力が鍵だ。円借款で支援することになったハイテク工場団地・ホアラックハイテクパークの宇宙センター予定地に、最初に足を踏み入れた日本の国会議員として、しっかりとフォローしたいと思う。
夜は、在ベトナムの日本企業の集まりである商工会の幹部の皆さんと意見交換。
4. 8日(土)は、日本さつき祭りのオープニングで挨拶()。今回は日本の表参道商店街の皆さんが中心となって開催され、ベトナムで日本語を学ぶ学生の多くのチームがよさこいを披露し、大いに盛り上がる()。
午後には、キャノンの工場、伊藤忠のジーンズ工場を視察。住友商事が開発したタンロン工業団地にあるキャノンの工場は4年前に訪問((2006年6月8日活動報告参照)して以来だが、この4年間で生産額が倍増とのこと。ここでも成長ぶりに驚いた。しかも、人件費の上昇に対応するため、機械化、無人化を進めようとしており、安い人件費・豊富な労働力を活かした、いわゆる「労働集約型」の生産スタイルから、早くも脱し、次の段階に進もうとしている経営姿勢が印象的であった。このタンロン工場の9,200人、近くのクエボー工場5,900人、ティエンソン工場2,900人と合わせて18,000人もの生産拠点であるが、既に将来を見据えた経営なのである()。
5. 伊藤忠のジーンズ工場は、また別の意味で驚いた()。作業はほとんど手作業でまさに「労働集約型」だが、世界の人気ブランドの商品を生産しており、最近の若者の好みである、ほどほどの色落ち具合を出すなど、想像以上に細かいテクニック・ノウハウが隠されていることがよくわかった。ユニクロもベトナム南部で委託生産を行っており、ある意味で、ベトナムは、最近では中国に代わる繊維産業大国・生産拠点となっている。
6. 夕方には、有名な水上人形劇のショーを見学()。もちろん、私の地元淡路の人形浄瑠璃の方が動きは繊細でレベルは高いことは言うまでもないが、長い棹(さお)とひもだけで水上を自由に動き回る人形(パペット)は不思議な感じだ。ここにもノウハウが隠されている。言葉はわからないが、それなりに楽しめるショーである。
そして、夜は、商工会議所の会頭で国会議員でもあるロックさんと懇談させて頂いた。マイン書記長やズン首相にも近く、また、日本の国会議員にも知人が多い親日派の実力者の一人である。かなり突っ込んだ意見交換を行った。
7. 9日は日曜のため、かねてから行ってみたかったハロン湾を見学。片道車で3時間半の行程はかなりきついが、途中、陶器のバッチャン村を訪問したり()、黒くなっている石炭山を見ながら進む。ハロン湾には約500もの観光船があり、ホテルも建ち始め、徐々に観光地化していっている。今はまだ、素朴なベトナムの漁村の良さを残しているが、5年後に来れば様変わりしているに違いない()。日本の援助で作った橋()、水上生活をしておられる約200人の集落(?)()を見ながら、約3時間の遊覧。鍾乳洞を歩いたり、また、美味しい海鮮料理を食したり、奇岩を眺めたり、のあっという間の3時間である。やはりベトナム観光の醍醐味である。