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アフリカ出張報告(その④)安定成長国、ガーナで激論。
1.9月16日午後6時15分、定刻にナイジェリアのラゴスを出発。飛行機が時間通りに飛んだのは「奇跡!」との声を多くの人から聞いた。遅延は当たり前、座席のダブル・ブッキング(二重予約)やキャンセルもしばしばある。ナイジェリアの航空事情からすると、奇跡的にスケジュール通りに動けた(写真①は、出発時間などが表示されるはずのボードがまったく表示されていない様子)。
2.16日夜7時過ぎ、ガーナの首都アクラに到着。空港の雰囲気も、ナイジェリアよりもきびきびしている気がする。
翌17日朝7時、ホテルを出発、あの野口英世博士の研究室を訪問する。途中、朝早くから活発に動いている人々、頭にかごを乗せて商売に向かう人々、通りの子供たち。。。まだまだ貧しい中にも、生きるエネルギー、活力を強く感じた。この国は必ず成長すると。どこかインドにも似た雰囲気もある。何より治安がいいのがいい。
3.野口英世博士の研究室には感動した()。涙がこぼれそうになった。小さい頃から何度も呼んだ伝記を思い出した。幼少の頃に左手に大火傷を負い、貧しい生活の中で勉強に励んだのである。今から80年前の1927年に、この地、ガーナまで黄熱病の研究にやって来た。そして、このような研究室()で、研究を重ね、論文を書き、治療法を考えたのである。想像を絶するものがある()。やがて、自らが黄熱病に倒れた。死亡する10日前の写真も飾ってあった。黄熱病とガーナに対する情熱は壮大である。今もなお、この研究室は、ガーナ大学の医学部の教室として使われている()。
4.朝9時半、投資セミナーである。イエボア外務副大臣()、コナドゥ貿易産業副大臣()とともに、民間企業同士の交流を進める。ガーナ側からは熱心に投資環境の説明がなされる。
5.11時半、マハマ副大統領と面談()。副大統領はミッション全員と握手。一人一人から意見を聞いてくれた。私からは、福田総理からクフォー大統領(海外出張中)への親書を渡し()、石油、ガス(LNG)分野での協力関係の構築、ボーキサイト事業への日本企業の参画などを申し上げた。また、円借款再開に向けて、両国政府間で議論を加速することも提案申し上げた。
6.午後には、ガーナ石油公社(GNPC)、オウス=アジャポン・エネルギー大臣と面談()。基本的に、ガーナ側は強気である。早く進出表明して、早く投資せよ、と言う。日本側としては、投資への意欲はあるが、石油の埋蔵量、生産(予定)量、随伴ガスの量などについてのデータを知りたい、と言う。ビジネスにはリスクがつきものであり、リスクを恐れていては大きなリターンを得られない。しかし、そのリスクを判断するために基礎データは必要である。ビジネス(投資)の入り口のところで激しいやりとりがあったが、私より、電力を含めた幅広いエネルギー分野についての政策対話を申し入れ、エネルギー省との間で対話をスタートさせることとした。いずれにしても大変有意義なやりとりであった。
7.その後、夕方に、テマ港、テマ精製所の視察、テマ港には80年代に円借款及び無償資金協力を供与した。石川島播磨重工(IHI)のクレーン()も見られたが、いまや中国の資本、ドバイの資本などが入ってきている。製油所は、拡張を計画しており、日本のプラントメーカーの参入も期待できる()。
8.夜は、片上大使主催のレセプション。ガーナ料理の「フーフー」も出された。山芋とナスの雑煮のような料理だが、中々いける。その後、真夜中の12時30分アクラ発の飛行機でセネガルの首都ダカールに向かう。空港には、イエボア外務副大臣が見送りに来てくれた。すっかり親しくなった。名古屋大で学ばれ、流暢な日本語を話される。近い将来、日本への赴任も予定されている、長く付き合いたい方だ。
約30分遅れてアクラを出発。ここまできわめて順調な行程である。
2.16日夜7時過ぎ、ガーナの首都アクラに到着。空港の雰囲気も、ナイジェリアよりもきびきびしている気がする。
翌17日朝7時、ホテルを出発、あの野口英世博士の研究室を訪問する。途中、朝早くから活発に動いている人々、頭にかごを乗せて商売に向かう人々、通りの子供たち。。。まだまだ貧しい中にも、生きるエネルギー、活力を強く感じた。この国は必ず成長すると。どこかインドにも似た雰囲気もある。何より治安がいいのがいい。
3.野口英世博士の研究室には感動した()。涙がこぼれそうになった。小さい頃から何度も呼んだ伝記を思い出した。幼少の頃に左手に大火傷を負い、貧しい生活の中で勉強に励んだのである。今から80年前の1927年に、この地、ガーナまで黄熱病の研究にやって来た。そして、このような研究室()で、研究を重ね、論文を書き、治療法を考えたのである。想像を絶するものがある()。やがて、自らが黄熱病に倒れた。死亡する10日前の写真も飾ってあった。黄熱病とガーナに対する情熱は壮大である。今もなお、この研究室は、ガーナ大学の医学部の教室として使われている()。
4.朝9時半、投資セミナーである。イエボア外務副大臣()、コナドゥ貿易産業副大臣()とともに、民間企業同士の交流を進める。ガーナ側からは熱心に投資環境の説明がなされる。
5.11時半、マハマ副大統領と面談()。副大統領はミッション全員と握手。一人一人から意見を聞いてくれた。私からは、福田総理からクフォー大統領(海外出張中)への親書を渡し()、石油、ガス(LNG)分野での協力関係の構築、ボーキサイト事業への日本企業の参画などを申し上げた。また、円借款再開に向けて、両国政府間で議論を加速することも提案申し上げた。
6.午後には、ガーナ石油公社(GNPC)、オウス=アジャポン・エネルギー大臣と面談()。基本的に、ガーナ側は強気である。早く進出表明して、早く投資せよ、と言う。日本側としては、投資への意欲はあるが、石油の埋蔵量、生産(予定)量、随伴ガスの量などについてのデータを知りたい、と言う。ビジネスにはリスクがつきものであり、リスクを恐れていては大きなリターンを得られない。しかし、そのリスクを判断するために基礎データは必要である。ビジネス(投資)の入り口のところで激しいやりとりがあったが、私より、電力を含めた幅広いエネルギー分野についての政策対話を申し入れ、エネルギー省との間で対話をスタートさせることとした。いずれにしても大変有意義なやりとりであった。
7.その後、夕方に、テマ港、テマ精製所の視察、テマ港には80年代に円借款及び無償資金協力を供与した。石川島播磨重工(IHI)のクレーン()も見られたが、いまや中国の資本、ドバイの資本などが入ってきている。製油所は、拡張を計画しており、日本のプラントメーカーの参入も期待できる()。
8.夜は、片上大使主催のレセプション。ガーナ料理の「フーフー」も出された。山芋とナスの雑煮のような料理だが、中々いける。その後、真夜中の12時30分アクラ発の飛行機でセネガルの首都ダカールに向かう。空港には、イエボア外務副大臣が見送りに来てくれた。すっかり親しくなった。名古屋大で学ばれ、流暢な日本語を話される。近い将来、日本への赴任も予定されている、長く付き合いたい方だ。
約30分遅れてアクラを出発。ここまできわめて順調な行程である。