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米国・中南米出張報告(その6)~いよいよマチュピチュへ(5月3日)~
1.朝5時にモーニングコールをお願いしたが、3時半すぎに目が覚めた。時差ぼけが続いているのか、それとも3400mの地ゆえの高山病のせいなのか、頭が少し重い。もう少しだけでも眠ろうと何度か試みるが、あきらめてテレビをつけた。ペルーのガイドブックを読んだり、鉱山事情の資料に目を通したり・・・。(あとで聞いてみると、やはり、睡眠中は呼吸が浅くなり、高地では夜中によく目が覚めるそうである。)5:00すぎに軽い朝食をすませ、5:30いよいよマチュピチュを目指し、クスコ出発である。

2.インカ文明の秘境・マチュピチュは高度2400mの深い山の中にある。クスコから電車で3時間半、そしてバスに揺られること約30分かかる場所にある。この車窓からの風景が素晴らしい。飛騨高山線のパノラマ列車もなかなかのものだが、それをはるかに凌ぐ渓谷である。しかも、6000m級の山々の頂上には氷河があり、まるで、(1991年に一人で旅した)カナディアンロッキーを思い出させる美しさである。そして、列車が進むにつれ、光景が変わっていく。3400mから2400mまで3時間で高度が降下していく間に、岩山から熱帯雨林の風景へと変化するのである。サボテンもやがて姿を消し、いつの間にかコスタリカの国立公園を思い出すジャングルの様相である。パッションフルーツもある。それにしても、自然は正直だとつくづく思う。自分たちが生きていける場所をしっかりとわかっているのである。人間だけが果てしなく自分たちの欲望を満たすために(自分たちが住めるように)、自然を破壊しているのである。即ち、人間だけが、自然に自分を合わせるのではなく、自然を自分たちに合わせさせるのである。この河もやがてはアマゾン川に合流するのだという。太平洋側のペルーからアンデス山脈を抜けてブラジル・マナウスに、そして、大西洋へと続くのである。地図を見るまでにわかには信じがたかったが、アマゾン川に合流するまでの間に、さらに何度も周りの風景を変えながら流れていくのだなあ、などと考えているうちにマチュピチュに着いた。

3.マチュピチュの遺跡は圧巻である。かつて(1991年に訪問した)ジャングルの中にこつ然と姿を現した中米の国・グァテマラの「ティカル遺跡」にも感動したが、スケールの大きさ、山の奥深さ、自然の雄大さ、神秘性などすべての点でそれを凌がし、驚きの連続であった。文化遺産と自然遺産の両方で「世界遺産」まで認定されていることも評価できる。年間50万人の訪問者、というのもうなづける(うち日本人は約3万人)。最も近い平地クスコ市から100km以上も離れたこの山奥に、しかも山の頂上にインカ文明の町を築いたのである。かつては、インカ帝国がスペインの統治から逃れ迎え撃つための要塞説もあるが、今は、その様々な宗教性から「神殿説」が定説であり、その住居の規模などから、500~1000人の人々がこの地で活動していたとされている。印象的な何段もの小さな畑が続く段々畑の規模からも、そのように推定されている。

4.しかし、そんなことはどうでもよい、1400年代半ばにこのアンデスの山奥に、なおかつ、何百mもの険しい山を登った地に人々が営みをしていたことに、驚くばかりである。しかも、太陽の位置から季節をしっかりと見定めながら、アンデスの雪解け水を上手く利用していたのである。いわば「自然と調和」した文明を築き上げていたのである。この遺跡から我々の学ぶ所は大きい。電車の中で同行してくれたJOGMEC(石油天然ガス・金属鉱物資源機構)の西川所長から南米での鉱山開発の事情を聞きながらの旅であり、中国と資源獲得競争の様相を呈してきていることも話題になったが、それよりももっと大事なこと、即ちこの地球の生態系・循環系を守ることもしっかりと頭に置いておかなければならない。そんなことを考えた秘境・マチュピチュの訪問であった。
  • マチュピチュに向かう電車に乗ってすぐに。クスコの町はかすんでいます。
  • 列車が駅に停車する度にモノ売りが来ます。粒の大きなトウモロコシは中々美味しいです。
  • カナディアンロッキーを走るようです。
  • 途中からジャングルに変わります。
  • 選挙ポスター発見。
  • これがマチュピチュ。よく写真で見る光景です。
  • 壮大なスケールです。
  • ペルーのすずめ「ピチンコ」も鳴いています。
  • 段々畑が象徴的です。
  • 左側はすき間なく並べられています。神聖な場所だからです。
  • コカの栽培発見。
  • 6000mを超える「サルカンタイ山」。