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インド・中東出張報告(その⑦)~クウェート編Ⅰ~
1.7月14日朝五時半に起きて、カタールのドーハ国際空港に向かう。次は、クウェートである。カタールの道路や高層ビルの工事現場を通りながら、年末のアジア大会を思い、「半年後には様変わりになってるだろうなあ」と考えながら、カタールを後にする。
2.午前10時前、クウェートに到着。さすがに暑い。この時間で39度!湿度が低い分(20%程度)カラッとしているが、直射日光を浴びると肌がじりじりする。外務省の派遣員・植木(?名刺を切らしていたそうなので)女史が出迎えてくれる。実は、植木さん、クウェートを出るときに打ち明けてくれたが、神戸の西区の出身で、私のことはよく知っているそうである(ポスター等で)。しかも地元の某有力新聞社で仕事をしていただけにかなり詳しく私の情報を持っていた。そして、その職を投げ打って(つまり退職!)のクウェート勤務である。たいした勇気である。2年間の勤務後は何の保障もなく、また新たな職を探すという。思い起こせば、初当選からこの間、派遣員の方々には海外出張のたびに大変お世話になった。昨年のエジプト・カイロ、本年五月のアメリカ・ロスアンジェルスとワシントン、フランス・パリでのトランジット、そしてインドは毎回のことである。直前のカタール・サウジでも無理を聞いてもらった。そういえば、ワシントンの女史も兵庫県西宮の出身だった。みんな、語学ができて、利発な若者が多い。雇用がだんだん流動化し、終身雇用が変わりつつあるとはいえ、2年で退職とは、いかにももったいない気がする。もちろん、貴重な経験を積むだろうから、この経験をそれぞれのキャリアの一つのステップとして、さらに素晴らしいポジションを見つける可能性も高いが、この外交の現場での経験をまた別の国での外交の場で生かしてもらうことも有意義なのではないか。それぞれの希望や適性も踏まえながら、そんな道も考えてみてはどうか。
3.さて、話がそれてしまったが、いよいよ自衛隊視察である。とにかく暑い!気温はなんと49度まで上がっているという。こんな環境での作業は想像を超えている。物資や人員の輸送に使う「C-130」も乗せてもらったが、機内の手すりも熱くて握れないくらいになっている。コックピットの操縦機もそうである。こんな環境で何ヶ月も活動を続けるというだけでも、自衛隊の皆さんには頭が下がる。そうするうちに、ちょうどイラクからの撤収してきた隊員が到着した。歴史的瞬間である。さぞかし、嬉しいことだろう。あとで、隊員の方々から直接その声を聞いてみたい。
4.後送業務隊の活動(つまり、撤収をサポートし、日本に物品を送り返す活動)も見せてもらった。こちらも大変な作業である。イラクの部隊から届く(日本に送り返す)物資をすべてきれいにし、パッキング、通関まで行うのである。クウェートの地場の企業の力も借りながら、一つ一つ作業していく。気の遠くなりそうな仕事である。さらに、気が遠くなる作業は、装甲車の泥を丹念に落としていく作業である。50度近い炎天下で、イラク・サマワでこびりついた油や泥をきれいにするのである。現地人の力も借りながら、作業を始めて10日ほどたった今、ようやく慣れてきたようである。あと1ヶ月か2ヶ月か、ひょっとすると3ヶ月かかるかもしれない。想像を絶する暑さの中での活動、最後まで事故なく無事に任務を成し遂げてほしい。
5.さて、イラクから撤収してきた隊員の声を紹介したい。みんな生き生きとした顔をしているのが印象的であった。イラク・サマワで、学校や病院を修復したり、給水活動という、歴史的な任務を成し遂げた達成感であろう。そして、極度の緊張感から解放された安堵感もひしひしと伝わってくる。みんな元気な笑顔で話しかけてくれた。「虫刺されで大変だったんですよ。」刺すハエやダニに悩まされたらしい。イラク特別委員会でもここまでは報告されていない。「歯の治療には行列ができることもありました。」衛生班の歯科担当の医務官は大忙しだったようである。「妻とは2ヶ月で183通のメールのやり取りをしました。」電話よりメール。時代の象徴であるが、いつの時代も、やはり家族との交信が何よりの安らぎである。「帰ったらすぐに結婚します。」そんな若者にも出会った。涙が出そうになった。真剣に生きている若者の姿に感動である。
6.17日には、額賀防衛庁長官が、現地入りする。彼らの上司として、十分にねぎらってあげて欲しいし、何より隊員の生の声を聞いてあげて欲しい。この彼らの活動の蓄積により、自衛隊の組織がさらに洗練されたものになっていくのである。将来、私自身が防衛庁長官になることを想像しながら、この歴史的瞬間に立ち会った。
2.午前10時前、クウェートに到着。さすがに暑い。この時間で39度!湿度が低い分(20%程度)カラッとしているが、直射日光を浴びると肌がじりじりする。外務省の派遣員・植木(?名刺を切らしていたそうなので)女史が出迎えてくれる。実は、植木さん、クウェートを出るときに打ち明けてくれたが、神戸の西区の出身で、私のことはよく知っているそうである(ポスター等で)。しかも地元の某有力新聞社で仕事をしていただけにかなり詳しく私の情報を持っていた。そして、その職を投げ打って(つまり退職!)のクウェート勤務である。たいした勇気である。2年間の勤務後は何の保障もなく、また新たな職を探すという。思い起こせば、初当選からこの間、派遣員の方々には海外出張のたびに大変お世話になった。昨年のエジプト・カイロ、本年五月のアメリカ・ロスアンジェルスとワシントン、フランス・パリでのトランジット、そしてインドは毎回のことである。直前のカタール・サウジでも無理を聞いてもらった。そういえば、ワシントンの女史も兵庫県西宮の出身だった。みんな、語学ができて、利発な若者が多い。雇用がだんだん流動化し、終身雇用が変わりつつあるとはいえ、2年で退職とは、いかにももったいない気がする。もちろん、貴重な経験を積むだろうから、この経験をそれぞれのキャリアの一つのステップとして、さらに素晴らしいポジションを見つける可能性も高いが、この外交の現場での経験をまた別の国での外交の場で生かしてもらうことも有意義なのではないか。それぞれの希望や適性も踏まえながら、そんな道も考えてみてはどうか。
3.さて、話がそれてしまったが、いよいよ自衛隊視察である。とにかく暑い!気温はなんと49度まで上がっているという。こんな環境での作業は想像を超えている。物資や人員の輸送に使う「C-130」も乗せてもらったが、機内の手すりも熱くて握れないくらいになっている。コックピットの操縦機もそうである。こんな環境で何ヶ月も活動を続けるというだけでも、自衛隊の皆さんには頭が下がる。そうするうちに、ちょうどイラクからの撤収してきた隊員が到着した。歴史的瞬間である。さぞかし、嬉しいことだろう。あとで、隊員の方々から直接その声を聞いてみたい。
4.後送業務隊の活動(つまり、撤収をサポートし、日本に物品を送り返す活動)も見せてもらった。こちらも大変な作業である。イラクの部隊から届く(日本に送り返す)物資をすべてきれいにし、パッキング、通関まで行うのである。クウェートの地場の企業の力も借りながら、一つ一つ作業していく。気の遠くなりそうな仕事である。さらに、気が遠くなる作業は、装甲車の泥を丹念に落としていく作業である。50度近い炎天下で、イラク・サマワでこびりついた油や泥をきれいにするのである。現地人の力も借りながら、作業を始めて10日ほどたった今、ようやく慣れてきたようである。あと1ヶ月か2ヶ月か、ひょっとすると3ヶ月かかるかもしれない。想像を絶する暑さの中での活動、最後まで事故なく無事に任務を成し遂げてほしい。
5.さて、イラクから撤収してきた隊員の声を紹介したい。みんな生き生きとした顔をしているのが印象的であった。イラク・サマワで、学校や病院を修復したり、給水活動という、歴史的な任務を成し遂げた達成感であろう。そして、極度の緊張感から解放された安堵感もひしひしと伝わってくる。みんな元気な笑顔で話しかけてくれた。「虫刺されで大変だったんですよ。」刺すハエやダニに悩まされたらしい。イラク特別委員会でもここまでは報告されていない。「歯の治療には行列ができることもありました。」衛生班の歯科担当の医務官は大忙しだったようである。「妻とは2ヶ月で183通のメールのやり取りをしました。」電話よりメール。時代の象徴であるが、いつの時代も、やはり家族との交信が何よりの安らぎである。「帰ったらすぐに結婚します。」そんな若者にも出会った。涙が出そうになった。真剣に生きている若者の姿に感動である。
6.17日には、額賀防衛庁長官が、現地入りする。彼らの上司として、十分にねぎらってあげて欲しいし、何より隊員の生の声を聞いてあげて欲しい。この彼らの活動の蓄積により、自衛隊の組織がさらに洗練されたものになっていくのである。将来、私自身が防衛庁長官になることを想像しながら、この歴史的瞬間に立ち会った。