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エジプト・ムバラク政権崩壊に思う。
1.エジプトのムバラク大統領が辞任した。私は、後継者と目されていた次男のガマル氏と、経済政策について意見交換したことがあり、また大統領夫人とも児童虐待を巡る国際会議で一緒になったことがあっただけに、個人的には大変残念に思う。また、選挙で選ばれた大統領が市民のデモにより倒される、ということもどことなく違和感も覚える。しかし、民衆が苦しい生活を強いられている一方で、ムバラク一族には巨額の蓄財があったことも事実のようであり、こうなった以上、一刻も早く公平公正な選挙を実施し、新しい民主的な政権が樹立されることを強く望むところである。

2.さて、このような“革命”とも言うべき事件の背景には、齊藤誠・一橋大学教授が指摘した(2011年2月8日ブログ参照)ように、相対的に米国の力が落ち、かつ、リーマン・ショック後の米国はじめ先進国の内向的な姿勢があると思われる。中東の経済状況にまで目配りする余裕がなくなったのである。

さらに、石油などの大きな収入のない国々(エジプトは産油国であるが、それほど量は大きくはない)の貧困層が、最近の食糧価格の急騰により、蓄積された不満が爆発し一気に反乱へと進んだのである。そして、この食糧急騰の背景には、世界各地の異常気象に加えて、米国の大幅な金融緩和があり、余剰マネーが商品マーケットに流れ込んでいるのである。

3.その上、ツイッター、フェイスブックといった新しいITツールが、反乱の輪を広げた。正にムバラク大統領の次男ガマル氏が進めたIT化によって政権が倒れたのは、皮肉としか言いようがない。

ガマル氏は、仲間の若い改革派を閣僚に送り込み、上述のIT化に加えて、国営事業の民営化など、経済改革を進めた。私は、当初この改革の結果としての貧富の格差の拡大が今回の反乱の原因かとも思ったが、実は、その改革の果実(成果)をムバラク一家一族や閣僚など特権階級が独占したことに対する民衆の不満が一気に爆発したと考える方が適確のようだ。歴史に「if」は禁物だが、ガマル氏も、せっかく経済改革を進めたのだから、同時に自分自身の特権を捨て、政治改革など行っていれば、あるいは新しい世代の大統領としての可能性もあったのかもしれない。従前には「ガマル氏には軍の経験がない」ことが弱点と言われていたが、経済改革が評価されていただけに、軍の経験の有無は関係なく、新しい時代に合った政治改革の方向性を示すべきだったのである。

4.ところで、今回の“革命”はイスラム教独特の宗教的な行動、即ち反米的な行動と見る向きはほとんどない。むしろ、経済的な不満が独裁的な特権階級に向かったのであり、エジプトの新政権も親米路線を維持することが期待されている。

日本のこれまで中東政策の中心は石油の安定供給の確保であり、私自身も、大学を卒業した22才の時に、通産省(現・経済産業省)に入省し、最初の配属課が資源エネルギー庁の石油部計画課であったため、とにかく“石油の安定供給”を連日呪文のように唱え、政策を立案していった。したがって、どうしても産油国に対する支援・協力の政策が中心であった。しかし、中東全体の安定・平和を考えるならば、今後、中東の貧困対策も重点政策の一つに据えなければならない。特に、石油資源を有さない、あるいは多くない国々、例えば、ヨルダン、オマーンといった国々への支援を強化することを考えなければならないのである。
米国の力が相対的に低下する一方、米国のベンチャー企業家たちが生み出したツイッターやフェイスブックという新しい技術やツールが、世界の秩序をさらに急速に変化させているのである。日本もこの変化に対応すべく改革を加速するとともに、今一度、外交政策を見直し、建て直す時が来ているのである。