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100年後の日本の人口は?アフリカも考えながら。
1.昨日(7日(月))は、参議院の予算委員会が開かれ、全大臣が出席のため、衆議院は会議がない。
このため、地元で親戚の葬儀に参列。故人とは、商工会の青年部でもよく一緒になったし一杯やったこともあるが、何と癌で49歳の鬼籍入りである。その悲しみは表現の仕様がない。出棺のとき、たくさんの人が大泣きしていた。これだけ多くの人が涙する葬儀は初めてである。多くの人に慕われていた証である。心からご冥福をお祈りしたい。

2.8日(火)朝8時、党本部にて「国際競争力調査会・企画委員会」からスタート。会長補佐として、議事進行。
100年後の日本の人口をどう考え、どんな対策を講じるかが大きな論点となる。厚労省の人口問題研究所は、何と「4500万人」と推定しているが、これにどう対応するか。確かに100年後には、今よりはるかに国境が低くなり、日本一国の人口だけで考えるのは適切でないかもしれない。EUができたように、100年後には、アジアの統合が果たされ、人の移動も自由になっているかもしれない。しかし、一方で、中国・インドが台頭する中で、日本の人口が4500万人なら、日本のプレゼンス(存在感)は極めて小さなものとなっているだろう。やはり、どんな社会になるにせよ、やれる限りの少子化対策を講じるべきであり、さらに外国人労働者の受け入れをどう考えるか、大きな課題である。
私は、研修生として受け入れている「事実上の単純労働者」の国内滞在期間を5年間とし(現在最長3年)、その後も日本社会に同化させていく「社会統合」政策を考えるべきタイミングに来ていると思う。

3.9時半、国土交通委員会。「観光庁」設置ための国土交通省設置法改正案がようやく審議される。約3週間のブランク(空転・野党の審議拒否)であった。

11時半、チュニジアのカッラール評議院議長をお招きしての昼食会。森喜朗会長がホストし、私も日本アフリカ議員連盟の事務局次長として、出席(写真)。昨年夏、チュニジアの首都チュニスを訪問した時の話などで盛り上がる(2007年9月17日2007年9月18日活動報告参照)。

実は、今夜、総理官邸で、すべての駐日アフリカ大使が招待されてのレセプションが開かれる。5月末の「TICADⅣ」(第4回アフリカ開発会議)の成功に向けてのざっくばらんな意見交換会であるが、こちらも旧知の大使が多く、楽しみである。その模様は、順次「今日の一枚:どこの国の人でしょう」でご紹介したい。この欄の登場回数の多さで、私との親しさや距離感がよくわかる(笑)。 

4.午後1時半、本会議の後、「党改革本部・国会改革委員会」の若手実務者で打ち合わせ。日銀総裁の空白などが今後起こらないようにするための知恵を絞る。国会図書館の調査員の方々に、諸外国の例も調べてもらいながら、論点を詰める。

夕方は、「中小企業労働者問題PT」、「宇宙特別委員会・衛星小委員会」と、私が事務局長を務める会議が続く。
今日もフル活動の一日だが、夜は、東京後援会「康風会」の恒例の春のセミナーである。ネットビジネスで大成功しておられるDeNAの南場智子社長がゲスト。IT社会の行方をぜひ議論してみたい。

その後は、上記の官邸での「アフリカの夕べ」レセプション、上京してくれた地元明石の青年部の皆さんとの飲み会が続く。今夜は、「プロジェクトJ」は欠席になりそうだ。でも、明日は、決算特別委員会で、明石のタンカー事故の件で質問に立つ予定である。あんまり遅くにはなれない。請求する先のない、漁師さんたちの被害を何とか救済する仕組みができないものか、関係省庁の大臣や長官と議論を戦わせたい。(結局、就寝は、午前2時前!)