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~子どもたちは今~<国会レポート(23)>
1.6月1日長崎で、小学校6年生の女の子が同級生を殺害するという、信じられない痛ましい事件が起きた。小学3年生、1年生、年中組の園児の3人の娘を持つ父として、また国政を預かる者として、言いようのない悲しみに覆われた。妻と二人、深夜までニュースに見入った次第である。この事件の背景にどんな事情があったのか、今の段階では定かではない。しかし、この国の社会のどこかが病んでいることは間違いない。
2.先日、党の厚生労働関係の部会で、東京大学の汐見先生の話を聞いた。先生の話によれば、子どもは生まれてから3段階の「社会化」を経て、社会になじみ、社会の一員になるという。第一の社会化が赤ん坊の頃の「両親との接触」による社会化である。親の愛情に包まれて初めて人との関係を覚えるのである。第二の社会化が、3~6歳の頃、屋外で自然に触れ、またよその家の子どもたちと交わり、その中で仲良くしたり、ケンカをしたりしながら、「たたいたら痛い」とか「道具を交代に使う」とか社会の基本的なルールを自然に体得していくのである。また、自然の中で様々な昆虫や小動物と接することにより、「命の大切さ」も理解していくのである。汐見先生はこれを「『放牧』による社会化」と呼んでいた。そして、第三が小学校に入学しての社会化である。
3.しかし、現実はどうであろうか。まず、第一の親による社会化については、父親は仕事優先で育児休暇も十分に取得せず、子どもと接する時間は極めて少ない。その分、母親への過重な負担となって、赤ん坊に十分な愛情を注げない。その結果、赤ん坊は、十分に「第一の社会化」ができないのである。第二の社会化については、各地で都市化が進み、特に都市部では、子どもたちを「放牧」できる安心な自然の空間も少なくなっている。街中の「公園」についても、親自身が十分に社会化できていないために、子どもを連れて公園に行くことに抵抗があり、いわゆる「公園デビュー」のためにわざわざ雑誌を買って「どんな服装がいいか」「他のお母さんに最初どんな風に声を掛けたらいいか」など学習してから「デビュー」するのである。こんなことで子どもたちが社会化できるわけがない。第三の社会化である小学校生活も、家でコンピューターゲームに夢中になったりして、子ども同士で外で走り回ったりして遊ぶことは少なくなっている。私の小学校時代には、毎日ドッジボールをしたり、うま飛びをしたり、ザリガニを取りに行ったり、カンけり(かくれんぼの一種)をしたり、日が暮れるまで遊び続けたものである。その中で、いろんな社会のルールを覚え、また、時には、自分たちで遊び方のルールも作っていたものである。
4.ちなみに、6月20日の文部科学部会・子ども体力向上ワーキングチームに提出された資料によれば、30年前(今の子どもたちの親の世代)と比較しての子どもの体力・運動能力の変化は、下表の通りである。
(「親の世代」は、昭和47年の11歳の子ども、「今の子どもたち」は、平成14年の11歳の子どものデータ)
また、子どもの肥満傾向の推移を11歳の男子で見てみると、3.1%(S45)→ 7.7%(S55)→ 9.4%(H2) → 11.2%(H12)と30年間で4倍近くに急増しており、何と9人に一人が肥満傾向である。女子は、同じ時点で 5.5% → 7.0% → 7.6% → 9.8% と約2倍となっている。
このように、体格は向上しているが、体力運動・能力については、昭和50年、60年頃から低下傾向が続いているのである。
5.このような現状で、私は、都市部の小学生の夏休み一ヶ月間とか、場合によっては一年間の「田舎留学」など提案してきているが、全国でも構造改革特区を活用し、様々な試みが提案・実行されている。埼玉県志木市の穂坂邦夫市長は、「教育委員会の必置規定除外」を申請し、残念ながら認められなかったが、志木市は、小学一・二年生の「25人程度」学級と不登校児の「ホームスタディー制度」を実現している。日本経済新聞の記事(H.16.5.22朝刊29面)に載っている市長の発言によれば、「国の制度は、40人なら1学級だが、41人だと2学級に機械的に分ける。40人と41人と本質は同じなのに、こんな扱いで良いのか。個性ある人間育成と言いながら、教育制度は硬直的だ」「私立は、建学の精神があり、試験があるので同質の子どもが集まる。20世紀はそれで良かったが、21世紀は異質の人が集まって創造性を競う時代だ。個性をはぐくむには、多様な子どもがいる公立学校が適している」「国は最低水準だけを定め、カネは出すが口は出さない。自治体が自主性、工夫を出せるようにして欲しい」全くその通りである。各地の公立小学校が、地域の自然や企業をリタイアされた人材などを十分に活用し、地域の特性を活かした教育を実践すべき時に来ている。
6.現在、超党派の「教育基本法改正促進委員会」の事務局次長を拝命し、新しい時代の教育の在り方を議論している。既存の制度・仕組みにこだわらず、大胆な改革により、心の優しい、そしてたくましさも持った(もちろん基礎学力も備えた)心身ともに健全な子どもたちを育てていきたい。
2.先日、党の厚生労働関係の部会で、東京大学の汐見先生の話を聞いた。先生の話によれば、子どもは生まれてから3段階の「社会化」を経て、社会になじみ、社会の一員になるという。第一の社会化が赤ん坊の頃の「両親との接触」による社会化である。親の愛情に包まれて初めて人との関係を覚えるのである。第二の社会化が、3~6歳の頃、屋外で自然に触れ、またよその家の子どもたちと交わり、その中で仲良くしたり、ケンカをしたりしながら、「たたいたら痛い」とか「道具を交代に使う」とか社会の基本的なルールを自然に体得していくのである。また、自然の中で様々な昆虫や小動物と接することにより、「命の大切さ」も理解していくのである。汐見先生はこれを「『放牧』による社会化」と呼んでいた。そして、第三が小学校に入学しての社会化である。
3.しかし、現実はどうであろうか。まず、第一の親による社会化については、父親は仕事優先で育児休暇も十分に取得せず、子どもと接する時間は極めて少ない。その分、母親への過重な負担となって、赤ん坊に十分な愛情を注げない。その結果、赤ん坊は、十分に「第一の社会化」ができないのである。第二の社会化については、各地で都市化が進み、特に都市部では、子どもたちを「放牧」できる安心な自然の空間も少なくなっている。街中の「公園」についても、親自身が十分に社会化できていないために、子どもを連れて公園に行くことに抵抗があり、いわゆる「公園デビュー」のためにわざわざ雑誌を買って「どんな服装がいいか」「他のお母さんに最初どんな風に声を掛けたらいいか」など学習してから「デビュー」するのである。こんなことで子どもたちが社会化できるわけがない。第三の社会化である小学校生活も、家でコンピューターゲームに夢中になったりして、子ども同士で外で走り回ったりして遊ぶことは少なくなっている。私の小学校時代には、毎日ドッジボールをしたり、うま飛びをしたり、ザリガニを取りに行ったり、カンけり(かくれんぼの一種)をしたり、日が暮れるまで遊び続けたものである。その中で、いろんな社会のルールを覚え、また、時には、自分たちで遊び方のルールも作っていたものである。
4.ちなみに、6月20日の文部科学部会・子ども体力向上ワーキングチームに提出された資料によれば、30年前(今の子どもたちの親の世代)と比較しての子どもの体力・運動能力の変化は、下表の通りである。
男子 | 女子 | |||
親の世代 | 今の子どもたち | 親の世代 | 今の子どもたち | |
身長(cm) | 141.2 | 145.3 (△4.1) | 143.5 | 147.4 (△3.9) |
体重(kg) | 34.6 | 38.96 (△4.36) | 36.2 | 39.92(△3.72) |
50m走(秒) | 8.80 | 8.96 (▼0.16) | 9.10 | 9.26(▼0.16) |
ソフトボール投げ(m) | 34.50 | 30.86(▼3.64) | 20.10 | 17.49(▼2.61) |
また、子どもの肥満傾向の推移を11歳の男子で見てみると、3.1%(S45)→ 7.7%(S55)→ 9.4%(H2) → 11.2%(H12)と30年間で4倍近くに急増しており、何と9人に一人が肥満傾向である。女子は、同じ時点で 5.5% → 7.0% → 7.6% → 9.8% と約2倍となっている。
このように、体格は向上しているが、体力運動・能力については、昭和50年、60年頃から低下傾向が続いているのである。
5.このような現状で、私は、都市部の小学生の夏休み一ヶ月間とか、場合によっては一年間の「田舎留学」など提案してきているが、全国でも構造改革特区を活用し、様々な試みが提案・実行されている。埼玉県志木市の穂坂邦夫市長は、「教育委員会の必置規定除外」を申請し、残念ながら認められなかったが、志木市は、小学一・二年生の「25人程度」学級と不登校児の「ホームスタディー制度」を実現している。日本経済新聞の記事(H.16.5.22朝刊29面)に載っている市長の発言によれば、「国の制度は、40人なら1学級だが、41人だと2学級に機械的に分ける。40人と41人と本質は同じなのに、こんな扱いで良いのか。個性ある人間育成と言いながら、教育制度は硬直的だ」「私立は、建学の精神があり、試験があるので同質の子どもが集まる。20世紀はそれで良かったが、21世紀は異質の人が集まって創造性を競う時代だ。個性をはぐくむには、多様な子どもがいる公立学校が適している」「国は最低水準だけを定め、カネは出すが口は出さない。自治体が自主性、工夫を出せるようにして欲しい」全くその通りである。各地の公立小学校が、地域の自然や企業をリタイアされた人材などを十分に活用し、地域の特性を活かした教育を実践すべき時に来ている。
6.現在、超党派の「教育基本法改正促進委員会」の事務局次長を拝命し、新しい時代の教育の在り方を議論している。既存の制度・仕組みにこだわらず、大胆な改革により、心の優しい、そしてたくましさも持った(もちろん基礎学力も備えた)心身ともに健全な子どもたちを育てていきたい。