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森派から町村派へ
1.昨日(10/19)、政策グループ・清和政策研究会において森喜朗会長が会長を辞され、新たに町村信孝元外務大臣が会長に就任した。

2.いわゆる「派閥」の功罪について述べたい。「罪」については言うまでもない。古い自民党時代には、派閥が“密室”での権力闘争を繰り返し、“カネ”による支配が中心であった。このことについては、今回の総裁選の際にこのブログでも書いた(9月11日)が、かつては、派閥のトップや長老が密室で次の総裁を決めていたのである。また、中選挙区制度時代には、同じ選挙区から自民党の候補が各派閥から何人も立候補し、“派閥抗争”を繰りひろげていたのである。まさしく“派閥あって党なし”“派閥あって国益なし”の様相であったのだろう。

3.しかし、今や自民党は変わった。総裁は堂々と政策論争を行って“オープン”に選ばれ、派閥のトップの意向だけで決まる時代ではなくなった。また、閣僚などの人事も派閥の推薦を受けたり、派閥順送りのシステムは崩壊した。

4.それでは、派閥(政策グループ)の存在意味は何か?その「功」の面を見い出すとすれば、ある種の“人材育成機関”のような存在なのである。先輩の議員が選挙の応援に駆けつけてくれたり、また、後援会のつくり方や演説の仕方など手とり足とり教えてくれる。特に、先輩方が当選1~2回の頃に苦労した話は今の私にとって大変参考になる。安倍総理もこの清和会で様々な訓練を受け巣立って行かれたのだと思う。

5.私自身は、党においてたくさんの政策委員会や議員連盟などの事務局長を拝命し、それぞれの分野の専門の議員の方々と政策の議論・立案を行っている。学生時代の感覚で言えば、いわば「派閥」は「クラス(学級)」のようなものであるのに対し、委員会や議連が「運動部のクラブ」のようなもので、社会福祉や外交など専門分野での活動は「クラブ」で行うのである。そして、「クラス」では、(政治家としての)基礎学習を行う、という感じだろうか。しばしば自分自身が出席できない部会や委員会の議論についても先輩や同僚から話が聞けるなど、必要な情報交換を行うことができるし、そうした活動を通じて親しい仲間もできる。森さんは「派閥はオアシス」と表現したが、激しい政策を議論する場(これを行うのは「クラブ」である委員会や議連)ではなく、お互いの弱いところをカバーし合う場・応援し合う場、といったよう意味で言われたのであろう。今後は、町村会長のもと、若手は若手で切磋琢磨しながら、先輩方から吸収できることはしっかり吸収し、町村会長はじめ先輩方の仕事もしっかりお手伝いしてまいりたい。

6.いずれにしても、自民党は大きく変わった。この流れを止めることなく、今後さらに、私自身も党改革実行本部事務局長として、石原伸晃本部長とともに、「オールド自民党」を徹底的に改革し、「政策本位」の、そして「国民本位」の党として、内容・イメージともにしっかりと定着させ、アピールしてまいりたい。