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阪神淡路大震災30年追悼式典を機に
今日は阪神淡路大震災から30年。天皇皇后両陛下のご臨席を仰ぎ追悼式典が厳粛に取り行われました。あの日の衝撃は今も忘れられません。私は東京にいましたが、地震直後に義父からの電話で起こされ「神戸が大変だ。ご両親は大丈夫か」と。幸い私の両親は無事でしたが、実家は半壊。冷蔵庫は飛ぶは、部屋中ぐちゃぐちゃになってたようです。
2日後に大阪で予定されていた私の講演は当然中止でしたが、新幹線で新大阪まで行き、水や食料を調達して、友人の車で六甲山の北側を通り被災地に入りました。大阪市内でも水や食料は売り切れ、ほとんどの小売店の棚には商品がなく調達に何軒も廻りました。被災地ではあちこちで燃えており、瓦礫が飛び散り、言葉で言い尽くせない悲惨な状況でした。
当時私は通産省課長補佐でしたが、土地勘があるということで、復興対策本部と兼任となり、中小企業向けの賃貸工場建設などに携わりました。大規模火災が起こった長田地区に集積していたケミカルシューズ事業者など入居してもらいましたが、このことを故鴻池祥肇参議院議員に説明したところ「貸し工場」を勘違いされ「お菓子の工場つくってどうするんだ」と言われたこと、今では懐かしい思い出です。
その後、国が中小企業のために仮設の工場や商店街を建設するのは大規模災害時の復興支援メニューに入りましたが、この阪神淡路大震災の時が初めてで大蔵省(当時)と調整したこともよく覚えています。
いずれにしても、その後の東日本大震災、熊本地震、能登半島地震、さらには私が現地対策本部長で約3週間滞在した広島県土砂災害はじめ豪雨災害などの経験・教訓を重ね、防災対策も進化してきています。
今こそ、経験・教訓を総結集して、南海トラフ大地震、首都直下地震、富士山噴火などへの備えを強化すべき時です。
技術も進化してきています。200kg 搭載でき2時間飛べるドローンや、能登半島の輪島の火災を教訓に、今年から各地に整備する無人自動放水車など、新たな技術も徹底的に導入・活用すべきです。
私自身、阪神淡路復興本部での経験、東日本大震災時の自民党の責任者としての経験、防災担当副大臣・官房副長官の経験などを活かし、国民の命を守るために、防災対策のさらなる進化に全力で取り組みます。
ここに改めて犠牲になられた御霊の安らかに眠られんことをお祈りします。
2日後に大阪で予定されていた私の講演は当然中止でしたが、新幹線で新大阪まで行き、水や食料を調達して、友人の車で六甲山の北側を通り被災地に入りました。大阪市内でも水や食料は売り切れ、ほとんどの小売店の棚には商品がなく調達に何軒も廻りました。被災地ではあちこちで燃えており、瓦礫が飛び散り、言葉で言い尽くせない悲惨な状況でした。
当時私は通産省課長補佐でしたが、土地勘があるということで、復興対策本部と兼任となり、中小企業向けの賃貸工場建設などに携わりました。大規模火災が起こった長田地区に集積していたケミカルシューズ事業者など入居してもらいましたが、このことを故鴻池祥肇参議院議員に説明したところ「貸し工場」を勘違いされ「お菓子の工場つくってどうするんだ」と言われたこと、今では懐かしい思い出です。
その後、国が中小企業のために仮設の工場や商店街を建設するのは大規模災害時の復興支援メニューに入りましたが、この阪神淡路大震災の時が初めてで大蔵省(当時)と調整したこともよく覚えています。
いずれにしても、その後の東日本大震災、熊本地震、能登半島地震、さらには私が現地対策本部長で約3週間滞在した広島県土砂災害はじめ豪雨災害などの経験・教訓を重ね、防災対策も進化してきています。
今こそ、経験・教訓を総結集して、南海トラフ大地震、首都直下地震、富士山噴火などへの備えを強化すべき時です。
技術も進化してきています。200kg 搭載でき2時間飛べるドローンや、能登半島の輪島の火災を教訓に、今年から各地に整備する無人自動放水車など、新たな技術も徹底的に導入・活用すべきです。
私自身、阪神淡路復興本部での経験、東日本大震災時の自民党の責任者としての経験、防災担当副大臣・官房副長官の経験などを活かし、国民の命を守るために、防災対策のさらなる進化に全力で取り組みます。
ここに改めて犠牲になられた御霊の安らかに眠られんことをお祈りします。