BLOG
~石油収入を活かせるかリビアその1(11月26日)~
1.スーダンからカイロ経由でリビアの首都トリポリに着いた。リビア政府のアテンドでホテルまで送ってもらう。この間猛烈なスピードで飛ばす。100キロのスピードで車間距離5メートルである!赤信号も無視。誰も邪魔できない。官僚の強さをまず思い知った。実は、この官僚たちに時間もすべてコントロールされることになるのである。(少しでも時間が余れば、同じところを車でグルグルと何回も回り、時間をつぶす。自由な時間を与えてくれないのである。)
2.泊まったホテルは素晴らしい。夜中に着いて朝早く出て行くにはもったいないくらいである。ただ、国際水準に達しているのはここだけで、競争もないため、値段は高い。通信の状況もあまり良くない。インターネットの接続には時間がかかるし、日本への電話も通じにくい。それでも、ホテルの周りには高層ビルもあり、中には黒川記章氏が設計したビルもある。スーダンに比べると格段に進んでいる印象。一人当たりGDPは5000ドルを超え、ODA(経済協力)対象国を卒業しており、それだけの所得水準の高さを感じる。
3.ただ、民間のビジネスは進展していないようである。せっかく石油価格が高く国家収入が飛躍的に増大しているにもかかわらずである。さらに、石油鉱区の国際入札を今年から再開し(日本企業も第2回目の入札で6鉱区の権利を取得した)、石油収入の増大も期待できる。それでも投資プロジェクトが進まない。何年もの経済制裁で、国際社会との交流が閉ざされ、国際感覚・現代のビジネス感覚を持った人材が乏しいことも要因となっているようである。
4.早朝、スーク(市場)を見に行った。城壁の中にある旧市街の市場は、まだ開いている店は少なかったが、細い路地に数多くの雑貨屋が立ち並ぶ。12年ほど前に石川県知事のお供をして訪れたベニスを思い出した。そして、その路地の所々の合間の洞窟のような空間にも店が並ぶ。こちらはイランの市場に良く似ている。リビア人が言っていたが、まさにイタリアなどのヨーロッパと中東との混在こそがリビアである。今回、行く時間がなかったが、サブラタ遺跡は、2000年前に地中海の貿易大国として文明を謳歌したころの証である。今も、リビア人のDNAのどこかにこの商人魂が残っているに違いない。この十数年の国際的孤立で一時的に忘れているだけ、と信じたい。
5.その市場を歩いているとき、リビア人から「ニーハオ」と声をかけられた。ここでも、中国か!?日本の存在感が負けている。何とか挽回しようと、今回の何人かのリビヤ政府要人とのミーティングでは、精一杯の日本のPRをした。同じ石油の開発の提案でも、日本は、技術の供与もできるし、また石油開発の分野に限らず、中小企業支援のノウハウも伝授できる、と。せっかく初めて日本企業が石油の開発鉱区を取得したのであるから、中国に先越されることなく、良好な関係を発展させていきたい。(ちなみに、今回鉱区を取得した日本の石油関連企業は、相当無理をして権利を取得したようである。自分たちの取り分は開発した石油の10%以下で応札したのである。ほかの国であれば30%くらいが相場であるにもかかわらず、初取得に向けて名刺代わりに格別の条件で入札を行ったようだ。何とかその意気込みを今後につなげたい。)
6.余談になるが、魚市場も行ってみた。こちらはやはり朝早くから多くの人でにぎわっている。魚は、地元明石・淡路の魚とはかなり違っていたが。サメはいるは、アンコウはいるは、うつぼはいるは。魚の並べ方も相当違う。売り買いする人たちのぶっきらぼうな感じは、変わらないが・・・。
帰りの空港で、カダフィ指導者にそっくりな人に出会った。聞いてみるといとこだそうである(写真をみていただきたい)。街中至るところにカダフィ指導者の写真・ポスターがある。今回会える予定だった次男のセイフ・アルイスラム・カダフィ氏には会えなかったので、何となく嬉しかった。そういえば、カダフィ指導者が提唱する「直接民主主義」の現場も見せてもらった。全国400箇所で一定期間「基礎人民会議」といわれる住民集会を開き、住民の意見を集約するのである。今回、われわれが参加することができたのは「教育」をテーマにした会議であった。住民が一人一人、今の教育制度について意見を述べていた。日本で言うと「自治会(町内会)」の総会とテーマごとの「タウンミーティング」を合わせたような集会である。この場での意見を五人の代表が400箇所から集まり、総勢2000人で制度を決めるとのことである。たいしたものである。国民の声を反映するという政治の原点を見たような気がした。政治的判断に迷ったときには、この「基礎人民会議」のことを思い出すようにしたい。
その2に続きの写真があります。
2.泊まったホテルは素晴らしい。夜中に着いて朝早く出て行くにはもったいないくらいである。ただ、国際水準に達しているのはここだけで、競争もないため、値段は高い。通信の状況もあまり良くない。インターネットの接続には時間がかかるし、日本への電話も通じにくい。それでも、ホテルの周りには高層ビルもあり、中には黒川記章氏が設計したビルもある。スーダンに比べると格段に進んでいる印象。一人当たりGDPは5000ドルを超え、ODA(経済協力)対象国を卒業しており、それだけの所得水準の高さを感じる。
3.ただ、民間のビジネスは進展していないようである。せっかく石油価格が高く国家収入が飛躍的に増大しているにもかかわらずである。さらに、石油鉱区の国際入札を今年から再開し(日本企業も第2回目の入札で6鉱区の権利を取得した)、石油収入の増大も期待できる。それでも投資プロジェクトが進まない。何年もの経済制裁で、国際社会との交流が閉ざされ、国際感覚・現代のビジネス感覚を持った人材が乏しいことも要因となっているようである。
4.早朝、スーク(市場)を見に行った。城壁の中にある旧市街の市場は、まだ開いている店は少なかったが、細い路地に数多くの雑貨屋が立ち並ぶ。12年ほど前に石川県知事のお供をして訪れたベニスを思い出した。そして、その路地の所々の合間の洞窟のような空間にも店が並ぶ。こちらはイランの市場に良く似ている。リビア人が言っていたが、まさにイタリアなどのヨーロッパと中東との混在こそがリビアである。今回、行く時間がなかったが、サブラタ遺跡は、2000年前に地中海の貿易大国として文明を謳歌したころの証である。今も、リビア人のDNAのどこかにこの商人魂が残っているに違いない。この十数年の国際的孤立で一時的に忘れているだけ、と信じたい。
5.その市場を歩いているとき、リビア人から「ニーハオ」と声をかけられた。ここでも、中国か!?日本の存在感が負けている。何とか挽回しようと、今回の何人かのリビヤ政府要人とのミーティングでは、精一杯の日本のPRをした。同じ石油の開発の提案でも、日本は、技術の供与もできるし、また石油開発の分野に限らず、中小企業支援のノウハウも伝授できる、と。せっかく初めて日本企業が石油の開発鉱区を取得したのであるから、中国に先越されることなく、良好な関係を発展させていきたい。(ちなみに、今回鉱区を取得した日本の石油関連企業は、相当無理をして権利を取得したようである。自分たちの取り分は開発した石油の10%以下で応札したのである。ほかの国であれば30%くらいが相場であるにもかかわらず、初取得に向けて名刺代わりに格別の条件で入札を行ったようだ。何とかその意気込みを今後につなげたい。)
6.余談になるが、魚市場も行ってみた。こちらはやはり朝早くから多くの人でにぎわっている。魚は、地元明石・淡路の魚とはかなり違っていたが。サメはいるは、アンコウはいるは、うつぼはいるは。魚の並べ方も相当違う。売り買いする人たちのぶっきらぼうな感じは、変わらないが・・・。
帰りの空港で、カダフィ指導者にそっくりな人に出会った。聞いてみるといとこだそうである(写真をみていただきたい)。街中至るところにカダフィ指導者の写真・ポスターがある。今回会える予定だった次男のセイフ・アルイスラム・カダフィ氏には会えなかったので、何となく嬉しかった。そういえば、カダフィ指導者が提唱する「直接民主主義」の現場も見せてもらった。全国400箇所で一定期間「基礎人民会議」といわれる住民集会を開き、住民の意見を集約するのである。今回、われわれが参加することができたのは「教育」をテーマにした会議であった。住民が一人一人、今の教育制度について意見を述べていた。日本で言うと「自治会(町内会)」の総会とテーマごとの「タウンミーティング」を合わせたような集会である。この場での意見を五人の代表が400箇所から集まり、総勢2000人で制度を決めるとのことである。たいしたものである。国民の声を反映するという政治の原点を見たような気がした。政治的判断に迷ったときには、この「基礎人民会議」のことを思い出すようにしたい。
その2に続きの写真があります。