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附小の思い出と存在意義
1. 先日、附属小学校の新しい制服を拝見した。大変清潔感のある子供らしい制服で、その上、家庭での洗濯のしやすさなどにも配慮した素晴らしいものであったが、何より私の心を刺激したのは、男子の制服のズボンが(若干丈は長くなったが)半ズボンであることである。自分の附属小学校時代をなつかしく思い出した。どんなに寒い真冬の朝でも半ズボンで通った。長ズボンをはいて行く公立小学校の友達がすごくうらやましかったことが昨日のことのように頭によみがえった。

2. 附属小学校は、これまでは教育学部の附属として、様々な、そして時に壮大な教育実験を行ってきた。(半ズボンもその実験の一つである。)教科書を全く使わずに、社会に起こっている様々な現象を教材としたり、自分たちでテーマを決めて研究を行うこともしばしばである。

 先日は2人の小学生が先生を伴って私の事務所に「デフレ」というテーマで訪ねて来た。小学生にデフレを説明するのはむずかしいが、事前に自分たちでインターネットで調べたりしてよく考えていた。素敵な取り組みである。保護者の中で、この実験校としての役割について理解していただいていない方々も多い。また、附属を受験校と勘違いをしている保護者も多い。附属では様々な教育の実験をしているのだから、本来は塾にも通わせてはいけないのであるし、その後も(実験の成果を見るために)どういう大人になっていくかフォローもしなければいけないはずである。(確かに結果的には進学率も高く、各界で活躍する著名人も多く輩出していることは事実であるが。)

3. しかし、行政改革が叫ばれ様々な形での公立学校の改革も進む中で、附属の存在意味、価値はどう考えればいいのだろうか。OBの中には、「我々の附属を残そう」とスローガンだけは勇ましいが、中身の議論に乏しく、世に言う、改革に逆らう「抵抗勢力」的になってしまっている先輩方もいる。(偉そうなことを言ってごめんなさい。)。

4. 私も付属が大好きである。半ズボンの思い出をはじめ、附属でしか味わえなかった数多くの体験がある。是非とも我が思い出の母校が末永く存在し、多くの子供たちが巣立ってほしいと願っている一人である。しかし、住吉と明石の2つの附属があり、しかも、公立小学校においても「総合学習」の時間で、各生徒が思い思いの課題を取り上げ、自分たちの関心に沿って学ぶようにもなった。「総合学習」の時間こそ付属の長年の実験の成果だと言えるが、公立校でも附属と同様の取り組みを始めたのである。さらには「構造改革特区」の制度によって各地で附属以上の壮大な実験が行われるようになった。例えば群馬県太田市では、公立校において小中高一貫で、かつ、国語と日本の歴史以外は英語で学ぶ、そんな学校も誕生する。各地で自由に教育の実験が行えるようになったのである。

5. このような現実の中で、附属の存在意味は何であろうか、もはや実験校という意味合いは小さくなっている。むしろ、この際、附属誕生の原点、すなわち「(女子)師範学校」の精神に立ち帰ることが大事なのではないか。まさに教育の乱れが言われ、教師の質も問われている。使命感を持った先生が少なくなっているとも聞く。附属を先生を養成する専門の学校にすることが新たな時代の要請とはいえないか。この際、教師を目指すいわば半専門校的な高校を設立し、教師を目指す若者を育てる専門機関として生まれ変わるべきではないか。

6. 先般、子供たちの半ズボンを見ながら、大先輩の牛尾治朗ウシオ電機会長(100周年記念事業発起人代表)にもこのような話を申し上げた。日本の教育の現状、明石の教育の実状も見ながら、やみくもに附属を「守る」だけではなく、日本の教育改革に貢献できるよう、前向きな「攻める」議論をこれから多くの同窓生の方々と重ねてまいりたい。

百周年を心からお喜び申し上げるとともに、これからの百年をしっかりと考えていきたい。


衆議院議員 西村やすとし