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橋本龍太郎・元総理の告別式に参列
1.8月8日東京・武道館で4600人もの方々が参列して執り行われました。
橋本元総理は、私が通産省に勤務していたときの通産大臣で、よく話をさせていただきました。「政界一の政策通」と言われるだけあって、細かい政策までよくご指導頂きました。特に、私の結婚披露宴の際、大臣としての公務が重なり、わずかの時間差で出席できなくなったことを気にかけられ、「一度、西村君ご夫妻を食事に招待しなきゃね」とおっしゃって下さってましたが、その後総理になられ、ご多忙の中、とうとう実現できなかったのが残念でなりません。
2.また、橋本元総理と、私の義理の父・吹田あきらは、政治家としてのタイプはかなり違いますが、実は意外に親しかったようです。海部内閣のときに、それぞれ大蔵大臣と自治大臣として、九州の雲仙普賢岳の噴火の災害対策の予算を二人で実行したり、また、第二次大戦中の際の特攻隊の慰霊碑をマダガスカルに建立するのに協力しあったり、いろんな場面で接点があったようで、橋本元総理も、義父・吹田のことを「ふきちゃん」と呼びなから、政治家として一定の評価をしてくれていたように思います。
3.さて、小泉総理は、旧田中派的な政治を壊すことに政治生命を賭けてきたように感じますし、現に橋本さんとも何度も総裁選を争ったわけですが、実は、橋本元総理とは「一匹狼」的なところが良く似ていると、自分でも分かっていたのではないか、そんな思いが昨日の追悼の言葉に表れていたように思えます。「国鉄の民営化は、橋本先生が運輸大臣のときに実現。現在の省庁再編も橋本先生の功績。まさしく『行革の橋本』であった」旨話されました。「一匹狼」同志、孤独で辛い判断を迫られる、総理の任務をよく理解しあってたのではないでしょうか。
4.橋本元総理の葬儀はまさしく一つの時代の大きな節目を感じます。明らかに旧田中派的な政治は終りを告げるわけですが、一方で、小泉総理の構造改革の忘れてきた側面、すなわち、心の教育や田舎の再生、商店街の活性化、農水産業の振興など、競争原理だけでは成り立たない面にも、今一度目を向けることが大切な時に来ていると思います。その意味で、橋本元総理の「政治は弱者のためにある」の言葉を今一度思い出す時でもあるのでしょう。橋本元総理のご冥福を心からお祈り申し上げますとともに、その政治信念を、我々新しい世代の政治家もしっかりと学ぶことが大切だと思います。
橋本元総理は、私が通産省に勤務していたときの通産大臣で、よく話をさせていただきました。「政界一の政策通」と言われるだけあって、細かい政策までよくご指導頂きました。特に、私の結婚披露宴の際、大臣としての公務が重なり、わずかの時間差で出席できなくなったことを気にかけられ、「一度、西村君ご夫妻を食事に招待しなきゃね」とおっしゃって下さってましたが、その後総理になられ、ご多忙の中、とうとう実現できなかったのが残念でなりません。
2.また、橋本元総理と、私の義理の父・吹田あきらは、政治家としてのタイプはかなり違いますが、実は意外に親しかったようです。海部内閣のときに、それぞれ大蔵大臣と自治大臣として、九州の雲仙普賢岳の噴火の災害対策の予算を二人で実行したり、また、第二次大戦中の際の特攻隊の慰霊碑をマダガスカルに建立するのに協力しあったり、いろんな場面で接点があったようで、橋本元総理も、義父・吹田のことを「ふきちゃん」と呼びなから、政治家として一定の評価をしてくれていたように思います。
3.さて、小泉総理は、旧田中派的な政治を壊すことに政治生命を賭けてきたように感じますし、現に橋本さんとも何度も総裁選を争ったわけですが、実は、橋本元総理とは「一匹狼」的なところが良く似ていると、自分でも分かっていたのではないか、そんな思いが昨日の追悼の言葉に表れていたように思えます。「国鉄の民営化は、橋本先生が運輸大臣のときに実現。現在の省庁再編も橋本先生の功績。まさしく『行革の橋本』であった」旨話されました。「一匹狼」同志、孤独で辛い判断を迫られる、総理の任務をよく理解しあってたのではないでしょうか。
4.橋本元総理の葬儀はまさしく一つの時代の大きな節目を感じます。明らかに旧田中派的な政治は終りを告げるわけですが、一方で、小泉総理の構造改革の忘れてきた側面、すなわち、心の教育や田舎の再生、商店街の活性化、農水産業の振興など、競争原理だけでは成り立たない面にも、今一度目を向けることが大切な時に来ていると思います。その意味で、橋本元総理の「政治は弱者のためにある」の言葉を今一度思い出す時でもあるのでしょう。橋本元総理のご冥福を心からお祈り申し上げますとともに、その政治信念を、我々新しい世代の政治家もしっかりと学ぶことが大切だと思います。